シンガポールにおける商品・役務の類否判断について
1.はじめに
日本では、先行商標と出願商標は非類似とされているケースで、シンガポールでは、同じ商標の出願について、同じ先行商標と類似と判断され、拒絶査定を受けることがある。この相違は、両国の指定商品・役務に関する審査実務の違いによって生じる場合がある。例えば、日本の商標審査では、「類似群」と呼ばれるグループ分けを採用しており、商品・役務が同じグループに属さない限り、原則として非類似とみなされる。しかし、シンガポール商標審査ガイドライン(以下、「審査ガイドライン」という。)では、商品・役務を事前にグループ分けしていないため、判断が異なる可能性がある。そこで、本稿では、審査ガイドラインに基づく商品・役務の類似判断について紹介する。なお、著名商標との類似性、同一図形要素商標との類似性については、商品・役務の類似性を超えて保護される可能性があるため、考慮しないこととする。
2.商標の類似、非類似を判断する際のアプローチ
シンガポールにおける審査方法は、具体的には、以下のようなアプローチが一般的である。
① 出願商標が、識別力を有するか否かを判断する。
② ①で識別力があると判断された場合、出願商標が、同一/類似である先行商標を特定する。
③先行商標と本願商標の指定商品・役務が、同一/類似であるか否かを判断する。
適用される法律は、商標法第8条である。
異議申立に際しては、審査ガイドライン「相対的拒絶理由 5.1 ステップ・バイ・ステップ アプローチ」に、以下の判断手法で行われることが記載されている。
a. 出願商標が、先行商標の標識と同一/類似であるかを判断する。
b. 出願商標の指定商品・役務が、先行商標の指定商品・役務と同一/類似であるかを判断する。
c. a.およびb.の同一性/類似性から、公衆が混同するおそれがあるかを判断する。
a.の適用上、審査官は、標識が類似しているかどうかを確認する際、特に専門的および非専門的な識別力および支配的な構成要素に留意しつつ、標識が与える全体的な印象に基づいて、外観、称呼および観念の類似性を検討する。
Sariko Connoisseur v. Ferrero [2012] SGCA 56において、「登録商標は識別性があればあるほど、類似していると判断されないためには、商標に十分な変更が加えられたこと、または商標に差異があることを示す必要がある。」と控訴裁判所は判示した。
b.については、「3. 商品・役務の類似、非類似を判断する際のアプローチ」の項で詳しく述べる。
c.の適用上、混同の可能性を判断する際、審査官は、例えば、購入取引の長さ/複雑さ、高い教育水準を有する購入者または専門家によって購入されるなどの購入時に専門的な知識が必要か否かなど、商品・役務の購入において行使された注意の水準を考慮する。すなわち、高い注意水準が必要な場合、混同の可能性は、低い要因となる。
3.商品・役務の類似、非類似を判断する際のアプローチ
シンガポールでは、British Sugar PLC v. James Robertson & Sons Ltd., 1996 R.P.C. 281 の判決に基づき、ブリティッシュシュガー・ファクターと呼ばれる原則が確立した。すなわち、上記審査ガイドライン「相対的拒絶理由 5.3.3. 商品・役務の類似性」に示されているように、商品と役務とを特に区別せず、(a)~(f)の要件が規定されている。
(a) 商品・役務の用途;
(b) 商品・役務の需要者;
(c) 商品・役務の特性;
(d) 商品・役務が市場に到達するそれぞれの取引経路;
(e) セルフサービスの消費財商品の場合、それらがスーパーマーケットにおいて実際に陳列され、あるいは陳列され得る場所。(例えば、同じ棚であるか否か、など。);
(f) 商品・役務がどの程度競争的であるか。(例えば、市場調査会社が、当該商品・役務を同じ部門に分類するか否か。取引関係者が、当該商品を如何に分類するか。)
上記要件は、審査ガイドラインによれば全て適用されるとは限らず、各要素の重み付け(the weight which ought to be accorded to each factor)は、関連する全ての要素を評価した上で判断する、とされており、ケースバイケースで適用されると考えるべきである。
4.ニース分類の適用
シンガポール商標規則の規則19において、出願日に有効なニース分類を適用することが規定されている。
上記審査ガイドライン「相対的拒絶理由 5.3.3.1 商品または役務の区分は重要か?」で示されているように、商品・役務が分類される区分によって、その類似性が決定されるわけではない。すなわち、商品・役務がニース分類の同一区分に属するからといって、その商品・役務が自動的に類似になるということではない。例えば、第9類は広範な商品を対象としており、この区分に属する「消火器」と「コンピュータ」とは類似とみなされない。
さらに、異なる区分であっても、商品・役務は類似していると判断される場合がある。つまり、ニース分類の区分番号が異なるからといって、自動的にその商品・役務が非類似であるという結論には至らない。
商品・役務の類似性の判断は、願書中の指定商品・役務を具体的に比較しなければならない。
また、新興国等知財情報データバンクでは、「シンガポールにおける商標出願に際しての商品および役務の記述に関する留意事項」を公開しており、併せて参照されたい。
関連記事:「シンガポールにおける商標出願に際しての商品および役務の記述に関する留意事項」(2016.03.29)
https://www.globalipdb.inpit.go.jp/application/10417/
5.類見出し(Class Heading)について
ニース分類の類見出しは、特定の区分に含まれる商品および役務の一般的な表示で、類見出しで構成される指定商品・役務が、その区分に含まれるすべての商品・役務をクレームしていることと解してはならない(シンガポール商標審査ガイドライン「商品・役務の区分 5.3 ニース分類における類見出し」)。
類見出しについては、新興国データバンクの下記関連記事の「(2) クラスヘディング」の項も併せて参照されたい。
関連記事:「シンガポールにおける指定商品又は役務の願書への記載方法」(2014.07.22)
https://www.globalipdb.inpit.go.jp/application/6187/
6.商品名/役務名選択時の留意点
シンガポールでは、商品名・役務名の選定について、特に制限はない。すなわち、MGSM(Madrid Goods and Services Manager)リスト以外の商品名・役務名も可能である。
新興国データバンクの関連記事「シンガポールにおける指定商品又は役務の願書への記載方法」(前出)も併せて参照されたい。
シンガポールにおける非アルファベット文字を含む商標の取扱いについて
1.商標審査の基本的な考え方
商標法(2022年5月26日改正施行、以下同じ。)第7条において、絶対的拒絶理由が列挙され、第8条において、相対的拒絶理由が列挙されている。
主な相対的拒絶理由を見ると、第8条第1項には、先行する商標の標章が同一で、指定商品・役務が同一な場合は拒絶することが規定され、第2項には、公衆の側に混同を生じるおそれがあり、
(a) 先行する商標の標章が同一で、指定商品・役務が類似する場合、または
(b) 先行する商標の標章が類似し、指定商品・役務が同一の場合
は登録されない旨が規定されている。
また、商標法第12条には商標出願の審査が規定され、その第2項には「登録官は,必要と認める範囲まで先行商標の調査を実施することができる。」と規定されている。
2.標章の比較における基本的な考え方
本稿では、商標法第8条第2項(b)と、アルファベット以外の文字で構成される標章に焦点を当て、その類似性について標章を比較する方法を解説する。
基本的なアプローチは、Staywell Hospitality Group Pty Ltd v Starwood Hotels & Resorts Worldwide, Inc.の代表的な控訴裁判所判決に示されているとおりである。[2013] SGCA 65(以下、「Staywell判決」)。このアプローチは、ステップ・バイ・ステップ・アプローチとして知られている。
商標が類似しているかどうかを確認する際には、「標章が与える全体的な印象に基づき、特にその特徴的で支配的な構成要素を念頭に置いて」、外観、称呼および観念の類似性を検討することになっているが、標章が類似していると認められるためには、類似性の三つの側面すべてが立証される必要はない(Staywell判決[20])。標章は、外形的なものを考慮することなく、全体として比較されなければならない(Staywell判決[20])。
Staywell判決では次のように述べられている。
「裁判所は、最終的に、標章を全体的に観察した場合、どちらかというと類似であるのか、あるいは非類似であるのか、を結論付けなければならない。類似性の3つの側面は、裁判所の調査を導くためのものであるが、標章を全体として良識的に評価すれば類似ではないと分かるような場合に、どれか一つのチェックボックスに、わずかでもチェックが入れば標章が類似していると判断せざるを得ないような使い方をすることは有益ではない。」(Staywell判決[17])。
この考え方は、英語のアルファベットを含む標章、英語以外の文字を含む標章、図形を含む標章のいずれにも該当する。
3.外観、称呼、観念の識別
視覚的類似性は、標章の外観を扱う。これは、問題の各標章を全体として検討し、その支配的かつ特徴的な構成要素に留意し、標章によって生じる全体的な印象を参照することによって評価される。
聴覚的類似性は、競合する標章の称呼を扱う。聴覚的分析では、単語によって具現される複合的な意味を探求することなく、音節の発声が含まれることに留意することが重要である。
観念分析では、商標の全体的な理解の背後にある考えを明らかにし、その理解を促す。標章間に観念的類似性があるかどうかを検討する際には、シンガポールの平均的消費者の視点から、標章の特徴的かつ支配的な構成要素を念頭に置いて、標章が作り出す全体的な印象を検討する必要がある。
なお、標章の類否は「商標が与える全体的な印象に基づき、特にその特徴的かつ支配的な構成要素を念頭に置いて」判断しており、外観、称呼、観念の全てで類似が必要とか、いずれか1つで類似とされるのではなく、全体的に判断されなければならない(上記Staywell判決[20]参照)。
4.シンガポールにおける判決に基づく非アルファベット文字からなる標章の外観の類似性評価
比較された標章のいずれか、または両方が非アルファベット文字で構成されている案件について、シンガポールにおける過去10年間の報告された判決を検討し、ヒアリングオフィサー(聴聞官)の所見を以下に記載する。
5.シンガポールにおける判決に基づく非アルファベット文字からなる標章の称呼の類似性評価
比較された標章のいずれか、または両方が非アルファベット文字で構成されている案件について、シンガポールにおける過去10年間の報告された判決を検討し、ヒアリングオフィサー(聴聞官)の所見を以下に記載する。
6.シンガポールにおける判決に基づく非アルファベット文字からなる標章の観念の類似性評価
比較された標章のいずれか、または両方が非アルファベット文字で構成されている案件について、シンガポールにおける過去10年間の報告された判決を検討し、ヒアリングオフィサー(聴聞官)の所見を以下に記載する。
7.英語以外の単語/外来語を含む場合の類似性の評価
カタカナ・ひらがなに関する判決例は報告されていない。類似性に関する審査基準(Trade Marks Work Manual Chapter 4)には欧州の判決例も紹介されている。
英語以外の商標の問題は、Starwood Hotels & Resorts Worldwide, Inc and Sheraton International IP, LLC v Staywell Hospitality Pty Limited [2018] SGIPOS 11のレジストリ判決で提起された。この判決は、高等裁判所への控訴審で支持された。
同判決において、比較された標章は「PARK REGIS」と「ST.REGIS」である。前者は英語単語要素、図形、外国語(中国語)要素からなる。
同判決において、聴聞官は、[68]で、「局所的文脈(Local Context)における漢字とローマ字からなる/含む標章の比較に関連する明確な指針は存在しない」ことを確認した。そこで、ヒアリングオフィサーは、香港知的財産局(HKIPD)作業マニュアルに外国語、文字またはキャラクタに関する特定の章があることを考慮した。
聴聞官は、重要な考慮点は「問題の言葉/文字の言語が関連する消費者に理解されるかどうか」であるとし、以下のように結論づけた。
(a) シンガポールの人口統計学を考慮すると、中国語は局所的文脈で理解されるであろう。シンガポールの人口の大半は中国人で、中国語と英語の両方に堪能である。その前提において、標章の中国語の部分は単なる装飾とは見なされないだろう。その意味と発音が考慮される可能性がある。
(b) とはいえ、標章「PARK REGIS」は英語の要素も含んでいる。英語はシンガポールで使用される言語であるため、中国語の構成要素とは対照的に、この構成要素が主要な意味を持つことになる。
また、聴聞官は、シンガポールには中国語を話す観光客が多数いることを考慮すべきかどうかも検討したが、シンガポールへの年間訪問者総数に対するそのような集団の割合はまだ低いので、その必要はないと結論づけた。
上記に基づき、聴聞官は中国語の単語の発音と意味を検討した。
最終的に、聴聞官は、これらの商標は外観、称呼、観念について非類似というより類似であると結論づけた。
8.外国語からなる商標の識別力に関する簡単なコメント
(1) カタカナ・ひらがなに関する判決例は報告されていないが、経験上、文字として取り扱われていると考えられる。
(2) 外国語からなる商標の識別性の問題は、The Patissier LLP v Aalst Chocolate Pte Ltd [2019] SGIPOS 6のレジストリ判決で取り扱われた。
聴聞官は[43]で次のように判示した。
「非英語の単語が関与する場合、出発点は、その意味が関連する商品または役務の平均的な消費者が関連する日付においてシンガポールで理解されるかどうかを問うことである。」
同判決では、商標は、英語の「The」と、「パティシエ」を意味するフランス語の「Pâtissier」からサーカムフレックスを除いた「Patissier」からなる「The Patissier」であった。
聴聞官は、一般公衆であるシンガポールの一般消費者が、フランス語の「Pâtissier」の意味を「パティシエ」と理解することは立証されていないとして、この標章は十分に識別力を有すると結論づけた。
(3) 願書の書式FORM TM4のPART 4Gにおいて、出願人は標章の非英語部分を翻訳および/または翻字(音訳)することが要求されている。このため、カタカナおよびひらがななどの外国語文字の標章は、基本的には原語の意味において識別力が判断される可能性がある。「Staywell判決」の上記7.(a)の趣旨およびフランス語の「The Pâtissier」の判例を考慮すると、原出願国における直接的な商品名の標章でない場合、標章全体の印象から識別力を有するとの主張は十分可能と考えられる。
シンガポールにおける商標の識別性に関する調査
「ASEAN主要国における商標の識別性に関する調査」(2020年3月、日本貿易振興機構(JETRO)バンコク事務所知的財産部)
(目次)
第2章 各国の商標審査制度
Ⅴ.シンガポール p.48
(所管庁の概要、出願から登録までの審査手続について説明(フローチャートあり)、商標の識別性に関する関連法規、識別性に関するガイドライン、制度・運用に関する留意点(過去の漢字についての決定では、識別性を欠くとして拒絶する傾向がある、他)、識別性に係る審査判断に対する反論手段、ディスクレーム制度(制度採択なし)、商標権の効力範囲およびフェアユースについて紹介している。)
第3章 事例紹介及び考察
Ⅴ.シンガポール p.110
(審査機関における審査結果(知的財産庁3件)および裁判所による判決(高等裁判所2件、控訴裁判所および最高裁判所1件)の概要を紹介している。)