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シンガポールにおけるロイヤルティ送金に関する法制度と実務運用の概要

 1978年以降、シンガポールにおけるすべての外国為替管理は廃止され、実施権者によるロイヤルティのシンガポール国外への送金には手続や承認は必要ない。ただし、「シンガポール所得税法」(以下、「SITA」という。)には、実施権者がロイヤルティの総額を指定の税率で源泉徴収するという法的要件がある(SITA第12条(7))。

 実施許諾者は、「所得に対する租税に関する二重課税の回避及び脱税の防止のための日本国政府とシンガポール共和国政府との間の協定」(the Singapore-Japan Avoidance of Double Taxation Agreement;以下、「シンガポール・日本DTA」という。)に基づいて、優遇税率の源泉徴収を受ける資格を有する場合がある。これは、実施権者が、シンガポール内国歳入庁(Inland Revenue Authority of Singapore;以下、「IRAS」という。)に源泉徴収税を申告することによって行われるが、IRASが、実施許諾者が日本の納税者であることを承認していることが条件となる。

 実施許諾者と実施権者が関連会社である場合、実施権者はSITAに基づき、ライセンス契約の価格設定が、独立企業間で締結されたことを示す移転価格文書を同時に作成することも求められる。

 一般に、多くの日本の多国籍企業では、グループの知的財産は、日本に設立され納税者として居住する企業(日本の実施許諾者)によって保有されている。日本の実施許諾者は、知的財産に関するライセンスを、必要とする他のグループ企業に許諾している。

 以下に、シンガポールから日本へのロイヤルティの送金を検討する際に留意すべき重要なシンガポール税務上の考慮事項について説明する。

1. 外国為替管理
 予備的な点として、現在シンガポールには外国為替管理はなく、ロイヤルティをシンガポール国外に送金する際の特段の手続はなく承認も必要ない。為替管理法の規定の適用は、「シンガポール金融管理局(the Monetary Authority of Singapore; 以下、「MAS」という。)通知1103号および754号」(いずれも1978年5月25日公示)により、1978年以来MASによって停止されている。

2. シンガポールにおける源泉徴収義務
 シンガポールの企業からシンガポールに居住していない企業に送金されたロイヤルティは、シンガポールから発生したものとみなされ、シンガポールの源泉徴収税の対象となる(SITA第12条(7))。次のいずれかに該当する場合には、ロイヤルティはシンガポールから得られたものとみなされる。

(1) シンガポールに居住する者、またはシンガポールの恒久的施設(シンガポール国外の恒久的施設を通じてシンガポール国外で行われる事業に関するものを除く。)が直接的、または間接的に負担する場合

(2) シンガポールで発生した、またはシンガポールから得られた所得に対する控除

 シンガポールの源泉税率は、支払われるロイヤルティ総額の10%または17%である。ロイヤルティが、シンガポールに所在のない会社による貿易や事業からもたらされる場合、または、シンガポールに会社が所有する恒久的施設と実質的に関連していない場合には、10%の税率が適用される。それ以外の場合は、17%の税率が適用される。
 源泉徴収税率は、(i)承認済みロイヤルティインセンティブスキーム(the Approved Royalties Incentive Scheme;以下、「ARI制度」という。)、または(ii)シンガポール・日本DTAに基づいて引き下げられる場合がある。

3. ARI制度
 ARI制度は、企業がシンガポールでの実質的な活動のために、最先端技術やノウハウにアクセスすることを奨励する目的で導入された(「経済拡大インセンティブ(所得税軽減)1967年法」)。2022年のシンガポール予算で発表されたように、この制度は当初2023年12月31日以降に失効する予定であったが、2028年12月31日まで延長された。

 ARI制度では、シンガポールでの実質的な活動を目的として、最先端技術やノウハウを提供する非シンガポール居住者に対して送金されるロイヤルティに関して、免税または優遇源泉税率が与えられる場合がある。ARI制度に参加するには、シンガポールの企業が、非シンガポール居住企業に送金するロイヤルティを、承認済みロイヤルティとして認可してもらうために、経済開発委員会(the Economic Development Board;以下、「EDB」という。)に申請する必要がある。申請が認められた場合、EDBはその承認を証明する証明書(以下、「承認証明書」という。)を発行する。

 2023年4月1日以降、ARI制度の管理を強化するために制度の変更があった。すなわち、シンガポールの企業は、新しいライセンス契約が締結される、または既存の契約が変更されるごとに、EDBから新たな承認を求める必要がなくなった。それに代わって、承認証明書には承認された活動の範囲が指定されることになり、シンガポールの企業は、承認された活動の目的で締結するすべての契約に基づいて支払うロイヤルティに対して、税額控除または軽減された源泉税率を受けることになる。

4. シンガポール・日本DTA
 実施権者がシンガポールの税務居住者であり、実施許諾者が日本の税務居住者であって、シンガポール・日本DTAが適用される状況におけるロイヤルティの税務上の取り扱いは次のとおりである。

(1) ロイヤルティは、発生国(シンガポール)と実施許諾者が居住する国(日本)の両方で課税される可能性がある。
(2) ロイヤルティがシンガポールで課税される場合に、実施許諾者がロイヤルティの受益者であれば、課される税金はロイヤルティの総額の10%を超えない。
(3) この場合、ロイヤルティは税務上、シンガポールで発生したものとみなされる。
(4) 日本は、シンガポールで支払った税金について、実施許諾者に対する税額控除の軽減を認めるものする。

 シンガポール・日本DTAでは、税務上の居住地は、当該締約国の法律上、実施許諾者または実施権者が、その住所、居所、本社または主たる事務所の所在地、統括および管理の場所、または同等の基準を理由に、当該締約国において納税義務を負うかどうかによって決定される。

 シンガポール税法に関する限り、事業の統括と管理がシンガポールで行われている場合、実施権者はシンガポールの税務上の居住者となる。これは事実の問題であって、少なくとも、戦略的意思決定が行われる取締役会がシンガポールで開催されていることを議事録等に基づいて証明する必要がある。

 手続き上、実施許諾者が、シンガポール・日本間DTAに基づく源泉徴収税率の軽減を享受するには、実施許諾者は、IRASへの源泉徴収税申告を通じて軽減の請求を行う必要がある。請求が認められるためには、IRASが、実施許諾者は日本の納税者であることを認める必要がある。したがって、実施許諾者は、日本の納税者であることを証明するために、日本の税務当局から居住証明書(a Certificate of Residence;以下、「COR」という。)の、英語のまたは英語に翻訳したコピーを取得し、それを実施権者に提供して、実施権者が追加申告できるようにする必要がある。これにより、実施権者は、IRASへの源泉徴収税申告書にそれを追加することができる。

5. 源泉徴収税の申告と支払い義務
 実施許諾者にロイヤルティを支払う責任がある場合、実施権者は、SITA第45条(1)、第45A条(1)および第12条(7)に基づいて、次の法的義務を負う。

(1) ロイヤルティの一定の割合を源泉徴収税として差し引く。
(2) 所得税監督官(以下、「監督官」という。)に控除を直ちに通知する。
(3) 源泉徴収税として差し引かれた金額を、会計監査人に支払う。

 源泉徴収税を差し引く場合、実施権者は、その差し引きを通知し、ロイヤルティの支払い日から2か月後の15日までに、差し引かれた金額を会計監査人に支払わなければならない。ロイヤルティの支払日は、以下のいずれかの早い日となる(「e-Taxガイド(源泉徴収義務を遵守するためのみなし支払日の決定について)」第3項から第3.4.3項)。

(1) 支払い期限が到来し、合意または契約に基づいて支払われる時、または合意または契約がない場合には請求書の日付に基づいて支払われる時
(2) 支払いが実施許諾者の口座、または実施許諾者が指定したその他の口座に入金される時
(3) 実際の支払い日

 源泉徴収税の控除通知は、実施権者がフォームIR3を使用してIRAS my Taxポータル※1経由で、オンラインで提出する必要がある。
※1 IRAS my Tax Portal https://mytax.iras.gov.sg/ESVWeb/default.aspx

6. 移転価格
 実施許諾者と実施権者が関連当事者である場合、移転価格についてさらに考慮する必要がある。
 実施許諾者と実施権者は、一方の当事者が他方の当事者を統括している場合、または直接的または間接的に別の当事者の共通の支配下にある場合、関連当事者とみなされる。
 重要な点は、支払者と受取人の間のライセンス契約が、独立した第三者との間の価格設定を反映していることを保証するために、両当事者は独立企業間原則を適用して、ライセンス契約の価格が、関連当事者でない第三者が同じライセンス契約に基づいて請求する価格と同等、あるいはそれに匹敵する状況であることを保証する必要がある。
 この要件が遵守されない場合、会計監査人は、SITA第34D条(1A)に基づいて、独立した第三者との間の価格設定でない点を補充するために、支払者の所得、税控除を調整する権限を与えられる。2019年からは、調整額に5%の追加料金が適用され、政府に対する債務として会計監査により回収可能となった。

 2019年からの施行にともない、実施権者は、以下のいずれかの場合に、実施許諾者とのライセンス契約が、独立企業間で締結されたことを示すために、移転価格文書を作成して、保管する必要がある。

(1) 取引または事業から得られる総収益が、当該基準期間において1,000万ドルを超える場合
(2) 移転価格文書が、当該基準期間の直前の基準期間について作成する必要があった場合

 移転価格文書とは、ライセンス契約の締結前または締結時に、関連当事者間の取引の移転価格を決定するために基準とした文書および情報をいう。これらには、シンガポールでの事業運営に関連するグループ(実施権者がメンバーである。)の事業の概要、および実施権者の事業、および関連当事者との取引に関する詳細情報(実施権者の機能分析および移転価格分析を含む。)が含まれる。

 移転価格文書は、実施権者の所得税申告書の提出期限までに完成する必要があるが、申告書と一緒に提出する必要はない。ただし、実施権者は、IRASからの要求から30日以内にかかる文書をIRASに提出する必要があり、いかなる場合でも、取引が行われた基準期間の終了から少なくとも5年間は当該文書を保管しなければならない。

 移転価格の確実性を高め、紛争を回避するために、実施権者と実施許諾者は、シンガポール・日本DTAの範囲内であれば、確認基準を事前に定める事前価格協定の申請を検討することができる。

7. 物流サービス税
 実施権者は、次の場合には、実施許諾者から調達したライセンスについて、あたかもライセンスの供給者であるかのように、9%の物流サービス税(Goods and Services Tax;以下、「GST」という。)を計上する必要がある。

(1) GST登録された一部免税事業者(すなわち、課税と免税の両方を対象とされるGST登録者)であり、仕入税額(input tax)の全額の控除を受けることができない場合
(2) 仕入税額の全額の控除を受ける資格のないGSTグループに属するGST登録者である場合
(3) 非GST登録者で、以下の理由によりGST登録の義務がある場合
  a.その輸入サービスの対象となる低額商品が、12か月間に100万シンガポールドルを超える場合
  b.仮にGST登録を行った場合、仕入税額の全額の控除を受けることができない場合

 この場合に、実施権者は、通常の仕入税額控除規則に従って、対応するGSTを仕入税として請求することができる※2

※2 シンガポールにおける通常の仕入税額控除規則の詳細については、IRASが発行するe-Tax ガイドの「GST:部分免除と仕入税額控除(第8版)」を参照されたい。
https://www.iras.gov.sg/media/docs/default-source/e-tax/etax-guide-on-partial-exemption-and-input-tax-recovery-6th-edition.pdf?sfvrsn= cbbae7c6_0

8. まとめ
 シンガポールの実施権者から日本の実施許諾者にロイヤルティが送金される場合、シンガポールの実施権者は、源泉徴収税、移転価格、GST規制を確実に遵守するために、さまざまな措置を講じる必要がある。源泉徴収税率は、シンガポール・日本DTAの適用、または該当する場合はARI制度を通じて軽減される場合がある。実施許諾者また、送金されたロイヤルティの適切な税務報告を保証し、支払われたシンガポールの源泉徴収税に関する税額控除の手順に従う必要がある。
 ただし、このような税額控除の利用可能性、および取得手順は日本の法律に準拠し、本稿の範囲外となるので留意されたい。

シンガポールにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)

1. 記載個所
 発明の進歩性については、シンガポール特許法第15条に規定されている。

第15条 進歩性
発明は、それが第14条(3)を考慮に入れずに第14条(2)のみに基づいて技術水準の一部を構成する何れかの事項に鑑みて当該技術の熟練者にとって自明でない場合は、進歩性があると認められる。

 審査基準については、シンガポール特許審査ガイドライン(以下、「シンガポール特許審査基準」という。)の「第4章 進歩性」に規定があり、その概要(目次)は、以下のとおりである。

第4章 進歩性
A. 法定要件(4.1-4.3)
B. 基本的な考え方(4.4-4.14)
C. 後知恵の回避:進歩性テスト(4.15-4.17)
D. Windsurfingテスト(4.18-4.21)
E. 改良されたWindsurfingテスト:Pozzoliアプローチ(4.22-4.24)
F. 進歩性の概念(4.25-4.29)
G. 進歩性判断の出発点(4.30-4.37)
H. 進歩性のための開示の組み合わせ(モザイク化)(4.38-4.46)
I. 発明は自明か(4.47-4.51)
  i. 容易に入手できる手段(4.51-4.56)
  ii. 現場での改変(4.57-4.61)
  iii. 商業的成功および長年の要望(4.62-4.71)
  iv. 明白な自明(4.72-4.73)
  v. 技術的な偏見(4.74-4.78)
  vi. 現実的な困難性の克服(4.79)
  vii. 発明の利点(4.80-4.82)
  viii. 選択発明(4.83-4.92)
  ix. なぜこれまで行われなかったのか(4.93-4.96)
  x. 自明な試み(4.97-4.103)

2. 基本的な考え方
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」第一段落に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.2、4.18

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポール特許審査基準では、日本の審査基準で規定されるような審査官の具体的な審査手順は規定されておらず、裁判例に基づいた進歩性の解釈および考え方が主に述べられている。

 技術水準を形成する事項を考慮して、当業者に自明でない発明は、進歩性があると見なされる。シンガポール特許法第14条(3)は考慮せず、第14条(2)のみに基づいて判断される(第4章4.2)。

 シンガポールでは、Windsurfing International Inc. v Tabur Marine (Great Britain) Ltd [1985] RPC 59の判決で示されたテストが、数多くの判決で採用されている(第4章4.18)。

 シンガポールでは、進歩性を判断する際、審査官は4ステップのWindsurfingテストを使用する(第4章4.20)。

1) クレームに係る発明の概念を明らかにする。
2) 優先日の時点での、当技術分野における通常の技能は有しているがunimaginativeな当業者があると仮定し、その時点での当技術分野における技術常識があると見なす。
3) 「すでに知られている、利用されている」ものとして引用されている事項と、発明とされるものとの間に、相違があるか、どのような相違かを明らかにする。
4) 発明とされるものについての知識が一切ない場合、当業者にとって、前述の相違が自明であるか、それともある程度の発明を必要とするものであるかを判断する。

3. 用語の定義
3-1. 当業者
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「当業者」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第2章2.20-2.23

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、明細書は、当業者の目を通して解釈され、被疑侵害、先行技術、あるいは明細書よりも後の文献などを関連するものとして参照することなく、当該技術分野の状況を踏まえて全体として考慮される(Glaverbel v British Coal [1995] RPC 255)。受け手は、発明に関する最先の有効な優先権主張日における、特定の技術分野における技術常識を有する当業者と見なされる(第2章2.20)。

 Peng Lian Trading v Contour Optik [2003] 2 SLR 560において裁判所が参照した、英国のTechnograph Printed Circuits Ltd v Mills & Rockley (Electronics) Ltd [1972] RPC 346の判決では、以下のように述べている。「...仮想の受け手は、技能を備えた技術者であって、現場の技術に精通し、関連する文献を注意深く読んでいる。多くの明細書の内容を吸収する能力には制限がないが、発明する能力は一切ないと想定される」(第2章2.21)。

 発明の技術が複数の技能を必要とする場合は、当業者がチームで構成されることもある(第2章2.21)。

 Prakash J in Ng Kok Cheng v Chua Say Tiong [2001] SGHC 143では、当業者は以下のような人であるとして、不可欠の特徴をまとめている。
1) 当該の主題に関する技術常識を有している。
2) 特許の主題に実際的な関心があるか、または示されている手順通りに行動する可能性が高い。
3) unimaginativeであるが、適度な知性を備えており、特許実施の手順を実行したいと考えている(第2章2.23)。

 当業者の4つの重要な特徴を定めた日本の審査基準のような厳密な当業者の定義は、シンガポールにはないが、裁判例を考慮すると両国の当業者の特徴は非常に似ていると考えられる。

3-2. 技術常識及び技術水準
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「技術常識」及び「技術水準」に対応するシンガポール特許基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第2章2.24、2.26、第3章3.2(2)

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、技術常識とは、概念的な当業者の技術背景であって、当業者が覚えたことや、念頭に置いていることに限定されない。自身が従事している分野に存在することを知っており、意図的に思い出せない場合でも当然のこととして言及するはずであり、さらなる作業の基盤として使用したり、主張された先行技術を理解したりする上で十分信頼できるものと考える、すべての材料が含まれる(第2章2.24)。技術的な一般常識や技術基準を指すものではない。

 技術常識を有していることが当業者の最も重要な側面の一つであり、当業者を特徴づけるものであると言っても過言ではない。目的論的な解釈では、当業者が明細書を解釈する際に使用するのがこの技術常識であり、そうした背景や状況を踏まえて、当業者が先行技術を解釈する(第2章2.24)

 パブリック・ドメインであるからと言って、必ずしも技術常識の一部になるとは限らないため、技術常識とパブリック・ドメインとを区別することは重要である(第2章2.26)。

 技術水準には、当該発明の優先日以前のいずれかの時点で、書面、口頭説明またはその他の方法によって(シンガポールか他国かを問わず)公開されたすべての事項(生産物、方法、そのいずれかまたはそれ以外のものに関する情報)が含まれると解釈される(第3章3.2(2))。

3-3. 周知技術及び慣用技術
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「周知技術」及び「慣用技術」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準には、対応する記載がない。

(2) 異なる事項または留意点
 審査基準では、技術常識のみが規定されており、JPOのような周知技術に関する具体的な基準はない。

 進歩性の具体的な判断、数値限定、選択発明、その他の留意点については、中編および後編をご覧ください。

シンガポールにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(中編)

(前編から続く)
4. 進歩性の具体的な判断
4-1. 具体的な判断基準
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3. 進歩性の具体的な判断」の第3段落に記載された「(1)から(4)までの手順」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.20

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、審査官は、4ステップのWindsurfingテストを使用して進歩性を判断する。先行技術とクレームに係る発明との相違を明らかにし、当業者の目を通した場合、その相違が自明か否かを判断する(第4章4.20)。

1) クレームに係る発明の概念を明らかにする。
2) 優先日の時点での、当技術分野における通常の技能は有しているがunimaginativeな当業者があると仮定し、その時点での当技術分野における技術常識があると見なす。
3) 「すでに知られている、利用されている」ものとして引用されている事項と、発明とされるものとの間に、相違があるか、どのような相違かを明らかにする。
4) 発明とされるものについての知識が一切ない場合、当業者にとって、前述の相違が自明であるか、それともある程度の発明を必要とするものであるかを判断する。

4-2. 進歩性が否定される方向に働く要素
4-2-1. 課題の共通性
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(2) 課題の共通性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 該当する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールの特許審査基準では、解決すべき課題が共通する2種類の文献を組み合わせることについては、具体的に論じていないが、進歩性に関して開示を組み合わせることについては論じており、第4章4.38では、以下のように述べている。

 「進歩性の判断には、技術水準を形成するいかなる単一の開示も使用してよいが、2つ以上の開示を組み合わせる場合はまず、当業者であれば、それらの開示を組み合わせるかどうかを、判断しなければならない。」

 進歩性に関する異なる開示を組み合わせるかどうか判断する場合、審査官は、それらの文献が同じ技術分野のものかどうか、隣接する分野か、離れている分野かを考慮する。2つの先行技術が共通の課題に関するものであれば、審査官は、それらが同じ技術分野のものであると判断してよい(第4章4.43)。

4-2-2. 作用、機能の共通性
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(3) 作用、機能の共通性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 該当する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「4-2-1. 課題の共通性」を参照されたい。

4-2-3. 引用発明の内容中の示唆
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(4) 引用発明の内容中の示唆」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 該当する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 審査官は、2以上の文献にある開示を組み合わせることが自明かどうかを判断する際、それらの文献が互いに参照している箇所があるかどうかを考慮する(第4章 4.43)。明らかな相互参照があれば、審査官は、文献の寄せ集めに基づく進歩性の主張は自明であると判断する。

4-2-4. 技術分野の関連性
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(1) 技術分野の関連性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 該当する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、審査官が同じ技術分野の2つの文献を組み合わせることはあるが、解決すべき課題の共通性、作用や機能の共通性、引用発明の内容中の示唆などのような、動機付けとなるその他の記載について、具体的な基準はない。

 2以上の文献にある開示を組み合わせることが自明かどうかを判断する際には、それらの文献が同じ技術分野のものかどうか、隣接する分野か、離れている分野かを考慮することが重要になると思われる(第4章4.43)。

4-2-5. 設計変更
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(1) 設計変更等」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.57、4.83、4.88

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールには、設計変更および選択発明に関する一般的な基準があるのみで、日本の審査基準におけるような明確な基準はない。

 先行技術からの「単なる設計改善」にすぎないクレームに進歩性がないことは、当業者であれば通常の設計開発をする技能を有するとされることから明らかである(Pfizer Ltd’s Patent [2001] FSR 16を参照)。ただし、単なる設計改善/変更となるかどうかの判断は一般には難しいと思われる(第4章4.57)。

 発明が、多くの選択肢のうちの一つであり、かつ先行技術に、ある特定の選択肢が、他の選択肢よりも有利であると示されていない場合、当該発明を非自明と見なしてよい(第4章4.83)。

 実際の技術的進歩がない選択は、自明と見なされる(第4章4.88)。

4-2-6. 先行技術の単なる寄せ集め
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(2) 先行技術の単なる寄せ集め」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.46

(2) 異なる事項または留意点
 発明が、別々の特徴の組み合わせであって、それぞれが通常の機能を実行するにすぎない場合、その発明は単なる寄せ集めになると考えられる。また、組み合わせる特徴の数は、進歩性の判断に影響しない(第4章4.46)。

4-2-7. その他
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」と異なるシンガポール特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特審査基準第4章4.47-4.48

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、審査官は、進歩性(自明性)の判断に、4ステップのWindsurfingテストを使用している(上記第4-1項参照)。後半の2つのステップでは、先行技術と当該発明の間に存在する相違点を明らかにし、それらの相違点が、当業者であれば自明のステップを構成するか、ある程度の発明が必要かを判断する(第4章4.47)。

 審査官は、審査する技術に関連する技能を持っていたり、審査する分野に関する実践的な知識を取得していたりすることが多い。そのため通常は、自分の前に置かれた出願や先行技術などの資料に基づき、発明に進歩性があるかどうかを、判断できる立場にある(第4章4.48)。

 シンガポールの裁判所では、自明性を判断するため、以下に挙げるようなさまざまなアプローチが使用されてきた。

「容易に入手できるもの」(Peng Lian Trading Co v Contour Optik Inc & Ors [2003] 2 SLR 560, and Merck & Co Inc v Pharmaforte Singapore Pte Ltd [2000] 3 SLR 717)
 特定の問題に対する解決策が、当業者にとって日常的に入手可能な材料等を使用するものである場合は進歩性が否定される。

 「設計変更」(ASM Assembly Automation Ltd v Aurigin Technology Pte Ltd and others [2009] SGHC 206)
 日常的な作業で行う設計変更は、当業者であれば当然に有する技能であるから、進歩性が否定される。

 「商業的成功」および「長年の切実な市場ニーズ」(Muhlbauer AG v Manufacturing Integration Technology Ltd [2009] SGHC 45、Trek Technology (Singapore) Pte Ltd v FE Global Electronics Pte Ltd [2005] 3 SLR 389:控訴審(FE Global Electronics Pte Ltd v Trek Technology (Singapore) Pte Ltd [2006] 1 SLR 876)において支持)) 
 市場での商業的な成功は、その製品が市場において長年にわたり切望されていた市場ニーズを満たしていることを示しているものであり、これらは進歩性を肯定する要因となる。

 「極めて明白」(First Currency Choice Pte Ltd v Main-Line Corporate Holdings Ltd and Another Appeal [2007] SGCA 50)
 発明の自明性が極めて明白である場合は、Windsurfingテストのような定式化されたアプローチに従うメリットがほとんどなく、このテストを用いない場合もあり得る。

 「技術的な先入観」(Muhlbauer AG v Manufacturing Integration Technology Ltd [2010] SGCA 6)
 当業者の技術的な先入観に反した技術によって課題が解決された場合には、その進歩性を肯定する要因となる。

 「現実的な困難の克服」(V-Pile Technology (Luxembourg) SA and Others v Peck Brothers Construction Pte Ltd [2000] 3 SLR 358) (Chapter 4 Section 4.50)
 発明者が独自の創意工夫によって現実的な困難を克服することにより発明を完成させた場合は、その発明の進歩性を肯定する要因となる。

4-3. 進歩性が肯定される方向に働く要素
4-3-1. 引用発明と比較した有利な効果
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(1) 引用発明と比較した有利な効果の参酌」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.80

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、一般的に予期しない有利な効果がある発明は、非自明であるとされている。

 発明の有利な効果が進歩性の判断要素として議論され得るとしても、当業者が容易に考える発明には進歩性がない(Technical Board of Appeal of the EPO in Decision T119/82)。しかし、有利な効果が予期しないものである場合は、進歩性を肯定する要素となり得る。同様に、当業者が発明には不利益があると考えるが、実際には予想に反して有利な効果がある場合には、非自明とされることもあり得る(第4章4.80)。

4-3-2. 意見書等で主張された効果の参酌
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(2) 意見書等で主張された効果の参酌」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールの審査官は、通常、当業者の目を通してクレームを解釈し、有利な効果が明細書の本文に述べられていれば考慮する。

 付与される特許は、クレームで定義される発明のみを保護するが、クレームは、明細書の本文および図面を踏まえて解釈される(第2章2.1)。

 明細書は、当業者の目を通して解釈され、被疑侵害、先行技術、あるいは明細よりも後の文献などを関連するものとして参照することなく、周囲の状況を踏まえて全体として考慮される(第2章2.20)。

4-3-3. 阻害要因
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.2 阻害要因」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.74-4.75

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、進歩性の主張に関する技術的な先入観を判断する際の一般的な基準が定められているが、日本では、4つの具体的な阻害要因が挙げられている。

 審査官は、当業者であれば、どのようなことをしようと考えるか、また、どのような行為に対して先入観があるかについて、考慮すべきである。一般的に受け入れられている見解や慣例に反する場合は、非自明と見なすことができる(第4章4.74)。

 このことが、決定要因となる場合としては、以下の例がある。

1) 当業者が、技術常識からは先行技術に問題があると認識できないような場合。
2) 当業者であれば、特定の用途に適さないと考えるはずの資料や技術があり、それが十分な根拠のない先入観であることを、発明者が発見した場合。
3) ある方法のステップまたはある装置の構成要素が、不可欠であると考えられていたが、省略してもよいことを発明者が発見した場合(第4章4.75)。

 技術的な先入観は、当技術分野で一般に共有されているもの、つまり、概念的な当業者によるものとされるほど、十分に普及しているものでなければならない。よって、ある特定の点についての当技術分野における見解が分かれている場合は、当技術分野で広く受け入れられている先入観と言えるものではない。例えばGlaxo Group’s Patent [2004] RPC 43では、喘息の治療におけるβ2拮抗薬の使用に関して、相当な論争があり、裁判所は、このような論争がある以上、当業者によるものとされるほど十分に普及していると見なすことはできないと判示している(第4章4.76)。

4-3-4. その他
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2 進歩性が肯定される方向に働く要素」と異なるシンガポール特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 特に記載はない。

(後編に続く)

シンガポールにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(後編)

(中編から続く)
4-4. その他の留意事項
4-4-1. 後知恵
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(1)でいう「後知恵」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.15

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールの審査基準では、Windsurfingアプローチによって後知恵を回避すべきであると強調されているのに対し、日本では2つの具体的な後知恵の事例が挙げられている。

 後知恵または事後分析は、審査における重要な問題である。審査官は、課題に直面した当技術分野の当業者の立場になるよう努めることが求められるが、課題と解決策の両方を考慮しなければならないため、実際には進歩性の判断は難しい。裁判所では、後知恵に陥る危険を最小化するため、さまざまなアプローチが考案されてきたが、その結果Windsurfingアプローチが採用されている。審査では、可能な限りこのテストの原則に従うべきである(第4章4.15)。

4-4-2. 主引用発明の選択
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(2)でいう「主引用発明」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールの審査基準では、第4章4.2において、どのような文献を先行技術として使用できるかが具体的に述べられているのみで、主引用発明の選択に関する規則はない。審査官は4ステップのWindsurfingテストを使用して、進歩性を判断する。

4-4-3. 周知技術と論理付け
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(3)でいう「周知技術と論理付け」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、Windsurfingテストを使用して進歩性を判断する。当業者は、当技術分野の技術常識を考慮して、クレームに係る発明の自明性を判断する。

4-4-4. 従来技術
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(4)でいう「従来技術」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールの審査官は、当業者の立場になって明細書を読み、技術水準を判断する。

4-4-5. 物の発明と製造方法・用途の発明
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の「(5) 物自体の発明が進歩性を有している場合には、その物の製造方法およびその物の用途の発明は、原則として、進歩性を有している」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールにおける審査では、プロダクト・バイ・プロセス・クレームは、「得られる」、「得ることができる」、「直接得られる」など、どのような言い回しであるかにかかわらず、一般に生産物それ自体に関するクレームと解釈される(第3章3.70)。

 既知の装置の新たな使用方法のクレームは、新規性があると見なされる場合がある。これはParker J in Flour Oxidizing Co Ltd v Carr and Co Ltd(25 RPC 428)の判決で確立されている。ただし、その新たな使用に限定するようなクレーム形式にしなければならない(第3章3.62)。

 クレームに係る事項の先行技術における開示が、定義された用途にまったく適さないようにする形式の場合、クレームは予測されない。同様に、先行技術の開示が、定義された用途に適したものにするために修正が必要な場合も、クレームは予測されない(第3章3.67)。

 特定の方法で使用される場合の生産物に関するクレームは、方法自体に関するクレームと解釈される。例えば、「除草剤として使用する化合物X」のクレームは、化合物Xを除草剤として使用する方法のクレームとなる。同様に「化合物Xの除草剤としての使用」のクレームも、化合物Xを除草剤として使用する方法のクレームと解釈される。これらのクレームは、こうした方法を開示する文献のみによって予測される(第3章3.68)。

4-4-6. 商業的成功などの考慮
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(6)でいう「商業的成功」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第4章4.62

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、進歩性の判断に商業的成功が考慮される(第4章4.62)。審査では、進歩性の判断にWindsurfingテストが使用される。審査官は、発明を定義するクレームに注目し、先行技術とクレームの定義との相違が、当業者の目を通して見た場合に自明かどうかを評価する。

 長年の切実な市場ニーズや、発明の商業的成功の証拠は、進歩性に関連する考慮事項になると思われる(参照例:Hickman v Andrews [1983] RPC 147 and PLG Research Ltd v Ardon International Ltd [1993] FSR 197)。市場での商業的な成功は、その製品が市場において長年にわたり切望されていた市場ニーズを満たしていることを示しているものであり、これらは進歩性を肯定する要因となる。ほとんどの特許は、発明後の早い段階で権利化されるため、審査の初期段階において商業的な成功を評価することは困難であるが、発明からある程度の期間が経過した審査の後半では、考慮事項になる可能性がある(第4章4.62)。

5. 数値限定
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第4節「6. 数値限定を用いて発明を特定しようとする記載がある場合」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準 第3章3.58

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、数値範囲は主に新規性の分野で説明されている(第3章3.57-3.59)。クレームにおいて数値範囲が定義されている場合、新規性を判断するために、クレームに係る範囲と先行技術の相違が明らかにされる。数値範囲の相違が自明かどうかは、当業者が行うWindsurfingテストによって判断される。「選択発明」の基準は満たさなければならない。

 上位概念の範囲内にある下位概念が、先行技術で明確に言及されていない場合に、下位概念の数値範囲を選択することで、クレームに係る発明を特徴づけることもできる。下位概念の範囲の新規性を証明するには、選択された範囲が狭く、例示によって、既知の上位概念の中から十分に特定されるものでなければならない。下位概念の範囲内における特定の技術的効果の有無は、進歩性を判断する際に考慮すべき事項に該当すると思われ、新規性判断の際に考慮されるべきではない(T 230/07 Colloidal binder/PAROC、T1233/05 Refrigerant compositions/INEOS)。下位概念の範囲が新規と判断される場合は、第4章4.83-4.92に定める「選択発明」の基準も満たさなければならない(第 3章3.58)。

6. 選択発明
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第4節「7. 選択発明」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準 第4章4.83、4.85、4.88

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールには、選択発明を判断するための基準があるが、日本では、選択発明に進歩性があるとされるために満たすべき3つの条件があり、シンガポールには、そのような明確に規定された条件はない。

 発明が、考え得る多くの選択肢の一つであり、ある特定の選択肢が、他の選択肢よりも有利であると先行技術に示されていない場合、その発明は非自明と見なされ得る。このようなことが最もよく起きるのは化学分野の出願である。マーカッシュ形式のクレームでは、広い範囲の化合物をカバーすることができるが、具体的に開示するのは、限定的な範囲の実施例のみで、その後、化合物のうち特定の一部を、予期しない有利な効果に基づいて出願した場合、そのクレームは特許性があると判断されるかもしれない。こうした状況は「選択」と呼ばれることが多い(第4章4.83)。

 また、シンガポール特許審査基準では、EPO審判部の審決T939/92(AGREVO/Triazoles)を引用して選択発明の基準を示し、単なる任意の選択は自明であり進歩性が否定されると述べている(第4章4.85、4.88)。

7. その他の留意点
 日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第1節「新規性」に記載されている、請求項に記載された発明の認定、引用発明の認定、およびこれらの発明の対比については、以下のとおりである。

7-1. 請求項に記載された発明の認定
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第2章2.3、2.5-2.7、2.37、2.45、2.74

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、クレーム解釈においては目的論的な手法が取られている。審査官はクレーム解釈において、明細書の本文、図面および技術常識を考慮する。明細書の本文、図面および技術常識を考慮しても、クレームが不明確の場合、審査官には、調査を実施しないという選択肢がある。

 特許出願が行われたかまたは特許が付与された発明は、文脈上他に要求されない限り、当該出願または場合により特許明細書に含まれる説明および図面により解釈されたクレームにおいて指定された発明であると解され、かつ特許または特許出願により与えられる保護の範囲は、相応に決定される(第2章2.5-2.7)。

 審査の過程では常に目的論的アプローチが取られるべきである。クレーム解釈は法律問題であって、特許権者自身が実際に言わんとしていることとは関係がない。クレームの文言から、当業者であれば、特許権者の意図をどのように理解するかを判断する目的で、解釈されるべきである(第2章2.8)。

 クレームの中にある単語を解釈する際はまず、それらの単語の意味が、発明の時点で当業者が通常考えたはずの意味を持つと想定すべきである。書き手が特別な意味を与えた用語については、そのことを考慮に入れる必要がある(第2章2.37)。

 特許法の第25条(5)(b)では、クレームは明確かつ簡潔でなければならないと規定している。当業者にとって、使用されている文言を理解するのが難しいかどうかが、明確性の基準である(Strix Ltd v Otter Controls Ltd [1995] RPC 607)。この要件は、クレーム全体にも、個々のクレームにも適用される(第5章5.45)。

 特許法の第113条では、与えられる保護の範囲は、特許明細書に含まれる説明および図面によって解釈される、出願のクレームに従って決定されると定めている(第5章5.74)。

7-2. 引用発明の認定
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準 第3章3.2、第4章4.2

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、優先日は先行技術を判断する上で不可欠の指標である。先行技術は2つに分類され、1つめは、優先日の前に公開された先行技術(シンガポール特許法第14条(2)の文献)、2つめは、公開は優先日以降であるが、優先日は当該発明よりも早い先行技術である(シンガポール特許法第14条(3)の文献)。

 進歩性に関して使用される先行技術は、新規性に関して使用されるものとは異なる。新規性に関する文献には、シンガポール特許法第14条(2)と(3)に定める文献が両方とも含まれるが、進歩性に関しては、シンガポール特許法第14条(2)の文献のみである。

 シンガポール特許法第14条(2)の文献では、発明における技術水準には、当該発明の優先日以前のいずれかの時点で、書面、口頭説明またはその他の方法によって(シンガポールか他国かを問わず)公開されたすべての事項(生産物、方法、そのいずれかまたはそれ以外のものに関する情報)が含まれると解釈される(第3章3.2(2))。

 シンガポール特許法第14条(3)の文献:特許出願または特許に係る発明における技術水準には、以下の条件を満たす場合、当該発明の優先日以降に公開された別の特許出願に記載された事項も含まれると解されるべきである(第3章3.2(3))。

(a) 当該事項が、別の特許出願の出願時点と公開時点の両方で記載されていた、
(b) 当該事項の優先日が、発明の優先日よりも早い。

 技術水準を形成する事項を考慮して、当業者に自明でない発明は、進歩性があると見なされる。特許法第14条(3)は考慮せず、第14条(2)のみに基づいて判断される(第4章4.2)。

7-3. 請求項に記載された発明と引用発明の対比
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 シンガポール特許審査基準第2章2.5、2.12、第3章3.3、3.20、3.26、3.4

(2) 異なる事項または留意点
 シンガポールでは、クレームに係る発明と先行技術の比較の基準は、主に新規性の分野で説明されている。予測性の要件には、事前開示と実施可能性の2つがある。事前開示については、対象となるクレームのすべての特徴が、先行技術で開示されているかを検討する(第3章3.20)。実施可能性については、当業者が当該発明を実施できなければならない(第3章3.26)。

 特許出願が行われたかまたは特許が付与された発明は、文脈上他に要求されない限り、当該出願または特許の明細書のクレームにおいて指定された発明であると解される(第2章2.5)。

 文献によってクレームの新規性が否定されるのは、クレームのすべての特徴が開示されている場合に限られる。クレームに、追加の特徴が含まれる場合、通常は自明性の問題になる(第2章2.12)。

 具体的な特徴の組み合わせが、先行技術ですでに開示されている場合、クレームで定義された発明は新規性がない(第3章3.3)。したがって、新規性の規定では、対象となるクレームのすべての特徴が、先行技術で開示されているかを検討する。一般に事前開示については、クレームで特定されるすべての特徴が開示されている場合に限って、新規性が否定される。技術的に追加的な特徴がクレームに含まれている場合は、自明の拒絶理由のほうが適切である(第3章3.20)。

 新規性の判断について、シンガポールの裁判所は一般的に英国の判例に従ってきた。英国のアプローチに関する最新の解説(SmithKline Beecham Plc’s (Paroxetine Methanesulfonate) Patent [2006] RPC 10)では、英国貴族院の判断として、事前開示と実施可能性の2つが予測性の要件とされている。この2つは別々の概念で、独自の規則があり、それぞれに充足する必要がある(第3章3.4)。

8. 追加情報
 これまでに記載した事項以外で、日本の実務者が理解することが好ましい事項、またはシンガポールの審査基準に特有の事項ついては、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 特に記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 特に記載はない。

シンガポールの特許関連の法律、規則、審査基準等

シンガポールの特許関連の法律、規則、審査基準等(英語・日本語)は、以下のとおりである。現時点で、シンガポールに実用新案制度はない。

No. 法令名 施行日等 情報元 URL 言語
1 特許法(2005年改正) 2016年11月1日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/Act/PA1994/Historical/20161101?DocDate=20170411&ValidDate=20161101
2017年10月30日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/Act/PA1994?ValidDate=20171030
2019年11月21日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/Act/PA1994/Historical/20191121?DocDate=20190911&ValidDate=20191121&Timeline=On
日本国特許庁 https://www.jpo.go.jp/system/laws/gaikoku/document/mokuji/singapore-tokkyo.pdf
2021年1月2日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/Act/PA1994?ValidDate=20210102
2 特許規則 2014年2月14日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/SL/PA1994-R1/Historical/20140214?DocDate=20140307&ValidDate=20140214
2017年10月30日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/SL/PA1994-R1?DocDate=20171006&ValidDate=20171030
2020年6月5日版 Singapore Statutes Online https://sso.agc.gov.sg/SL/PA1994-R1?DocDate=20200602&ValidDate=20200605
日本国特許庁 https://www.jpo.go.jp/system/laws/gaikoku/document/mokuji/singapore-tokkyo_kisoku.pdf
3 特許審査ガイドライン 2020年3月版 シンガポール知的財産庁 https://www.ipos.gov.sg/docs/default-source/resources-library/patents/guidelines-and-useful-information/examination-guidelines-for-patent-applications-at-ipos_2020-mar.pdf
4 Patent Formality Manual 2020年11月版 シンガポール知的財産庁 https://www.ipos.gov.sg/docs/default-source/resources-library/patents/guidelines-and-useful-information/patents-formalities-manual_2-nov-2020.pdf
5 Patents Infopack 2020年6月版 シンガポール知的財産庁 https://www.ipos.gov.sg/docs/default-source/resources-library/patents/infopacks/patents-infopack—jun-2020.pdf