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インドにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)

1. 記載個所
 発明の進歩性については、インド特許法第2条(1)(j)および(ja)に規定されている。

第2条 定義及び解釈
(1)(j)「発明」とは、進歩性を含み、かつ、産業上利用可能な新規の製品又は方法をいう。
(ja)「進歩性」とは、現存の知識と比較して技術的進歩を含み若しくは経済的意義を有するか又は両者を有する発明の特徴であって、当該発明を当該技術の熟練者にとって自明でないものとするものをいう。
(第2条の他の項号は省略)

 進歩性に関する審査基準については、「インド特許出願調査及び審査ガイドライン」(以下、「インド特許審査ガイドライン」という。)の「3.4.2 進歩性」に、および「インド特許庁実務及び手続マニュアル」(以下、「インド特許庁実務マニュアル」という。)の「9.3.3 進歩性」に規定がある。

インド特許審査ガイドライン
3.4.2 進歩性
 概念
 知的財産審判委員会による進歩性と発明の主題の関連性についての判断
インド最高裁判所の進歩性に関する判例
 デリー高等裁判所の進歩性に関する判決
 裁判例
  1.出願番号IN/PCT/2002/00020/DEL
  2.特許番号173953 (223/BOM/1991)
  3.特許番号183455 (203/BOM/1997)
  4.Ajay Industrial Corporation v. Shiro Kamas of Iberaki City(AIR 1983 Del 496. )
  5.Franz Zaver Huemer v. New Yesh Engineers (1996 PTC (16) 164 Del.)
  6.In Surendra Lai Mahendra v. Jain Glazers (1981 PTC 112 Del)
インド特許庁実務マニュアル
9.3.3進歩性
 9.3.3.1 一般原則
 9.3.3.2 進歩性の判断

2. 基本的な考え方
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」第一段落に対応するインド特許審査ガイドラインおよび/またはインド特許庁実務マニュアル(以下、「インド特許審査ガイドライン」および「インド特許庁実務マニュアル」を合わせて「インド特許審査基準」という。)の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル9.3.3

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、日本の制度と同様に、当業者が出願日(または優先日)における一般知識と先行技術に照らして、クレームに記載されている内容の結論に容易に想到したであろう場合、発明は自明とみなされる。

 インド特許庁は、進歩性を評価する際に、予測可能性、先行技術に対する技術的進歩(予期せぬ結果など)、経済的重要性(発明が提供する経済的利益または利点)などのさまざまな要素を考慮する。

 インド特許庁実務マニュアルによれば、進歩性を判断するためには、発明全体が考慮される。クレームに記載された発明は、単にクレームの個々の構成要素が既知である、または自明であるという理由だけで、その発明が自明であると考えることはできない。特許出願の出願日または優先日において、引用された先行技術が、当業者に構成要素を組み合わせる動機を提供する場合、複数の先行技術文書を組み合わせることが許容される。

 インド特許法は、「進歩性」を、従来技術を超える技術的進歩をもたらす特徴、経済的意義、あるいはその両方をもたらし、当業者にとって発明が自明ではなくなる特徴と定義している(インド特許法第2条(1)(ja))。経済的重要性の判断基準は、インドに固有のもので、インドでは、当業者にとって技術的には先行技術に対して自明な発明であっても、経済的重要性を伴う発明であれば、その発明は「進歩性」を有するとみなされる場合がある。

3. 用語の定義
3-1. 当業者
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「当業者」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル9.3.3.2

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許庁実務マニュアルでは、「当業者」とは「単なる職人とは区別される有能な職人または技術者」と定義されている。

 日本では、「当業者」とは、特定の条件をすべて満たす仮想的な人物を意味し、個人ではなく複数の技術分野の「専門家チーム」を指す場合もあるとしているが、インドでは、Cipla Ltd. vs. F. Hoffmann-La Roche Ltd. & Anr. (RFA (OS) Nos.92/2012 & 103/2012)において、デリー高等裁判所は、「当業者」とは「当該発明と同じ業界に属する者で、平均的な知識と能力を有しており、出願時の一般技術常識を認識している者」と判示している。

3-2. 技術常識及び技術水準
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「技術常識」および「技術水準」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「技術常識」については、AGFA NV & anr. vs. The Assistant Controller of Patents and Designs and anr. (C.A.(COMM.IPD-PAT) 477/2022)において、デリー高等裁判所は、何が技術常識を構成するかという問題を扱い、審査官は特許出願を拒絶する根拠として技術常識に頼るべきであるが、その出所を特定することが不可欠である、と判示した。ここで、「技術常識」の情報源は、当該特許出願の優先日より前に公開されていることが重要であり、理論、原理、知識が常識になっているという事実が、教科書、研究論文、標準文献によって参照されるとしている。
 「技術水準」という表現は、例えば、Cipla Ltd. vs F. Hoffmann-La Roche Ltd. & Anr. on 27 November, 2015(RFA (OS) Nos.92/2012 & 103/2012)において、進歩性の判断手順の中で言及されている。複数の裁判例を参照すると、当該先行技術、以前の知識をも含むものと解釈される。

3-3. 周知技術及び慣用技術
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「2. 進歩性の判断に係る基本的な考え方」でいう「周知技術」および「慣用技術」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、「周知技術」および「慣用技術」は、インド特許法、関連文献、および裁判例では、明確には定義されていないが、これらは、「技術常識」に関係付けて解釈され、日本の審査基準で定義されているものと同じ意味であると考えられる。

 進歩性の具体的な判断、数値限定、選択発明、その他の留意点については、「インドにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(後編)をご覧ください。

インドにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(後編)

(前編から続く)
4. 進歩性の具体的な判断
4-1. 具体的な判断基準
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3. 進歩性の具体的な判断」の第3段落に記載された「(1)から(4)までの手順」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル9.3.3.2

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許庁実務マニュアルでは、Cipla Ltd. vs. F. Hoffmann-La Roche Ltd. & Anr. on 27 November, 2015(RFA (OS) Nos.92/2012 & 103/2012)を引用して、客観的な進歩性の判断手順を説明している。

 発明の進歩性が欠如している、すなわち発明が自明であるかは、厳密かつ客観的に判断されなければならない。進歩性を判断する際には、発明を全体として見ることが重要である。したがって、発明全体として進歩性を有するか否かを判断するには、以下の点を客観的に判断する必要がある。

1)審査官は、「当業者」、すなわち「単なる職人とは区別される有能な職人または技術者」を特定する。

2)審査官は、優先日における当業者の技術分野に関連する技術常識を特定する。

3)審査官は、対象とするクレームの発明概念を特定するか、それが難しい場合にはそれを解釈する。

4)審査官は、「技術水準」の一部を形成するものとして引用された事項と、クレームの発明概念または解釈される発明概念との間にどのような相違点が存在するのかを特定する。

5)次に、審査官は、クレームに記載された発明について何の知識も有さずに発明を見た場合に、それらの相違点が当業者にとって自明と言えるか、あるいはある程度の創意工夫を必要とするのかを判断する。

4-2. 進歩性が否定される方向に働く要素
4-2-1. 課題の共通性
日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(2) 課題の共通性」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「課題の共通性」について、インドの審査官も 日本と同様のアプローチを採用していると考えられる。

 したがって、クレームされた発明の課題が新規なものであり、その課題が従前に当業者によって認識または着想されなかった場合は、進歩性を裏付ける論拠となり得る。インドにおいて進歩性を主張する場合、クレームされた発明が、既存の先行技術が扱っていない新規な課題を解決しようとするものであること、または実質的に異なる課題を扱っていることを強調することが有益である。最も近い先行技術が異なる技術分野のものである場合や、異なる問題・課題を扱っている場合、その先行技術とクレームされた発明との相違点に係る発明が当業者にとって自明でなかった理由を強く主張することが極めて重要である。

4-2-2. 作用、機能の共通性
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(3) 作用、機能の共通性」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない

(2) 異なる事項または留意点
 インドの特許実務では、複数の文献を検討する場合、一般に、文献の教示を組み合わせることが、当業者にとって自明であったか否かが焦点となる。2つの先行技術が類似の作用や機能を有し、それらの教示を組み合わせることで発明が自明となる場合、進歩性が疑われる可能性がある。これは、2つの文献が類似の機能や作用を扱っている場合、当業者であれば、それらの教示を組み合わせたり、関連付けたりすることが論理的であると考えるかもしれないという理由による。

4-2-3. 引用発明の内容中の示唆
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(4) 引用発明の内容中の示唆」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない

(2) 異なる事項または留意点
 日本の実務と同様に、先行技術文献が、特定の技術、方法、特徴の組み合わせを示唆している場合(日本の審査基準にある「主引用発明」に「副引用発明」を適用する場合に概ね該当する。)、クレームされた発明が、当業者にとって自明であった可能性があることを示す有力な指標となり得る。このような示唆は、直接的、明示的なヒントであることもあれば、先行技術の全体的な教示に基づくより暗黙的な示唆であることもある。

4-2-4. 技術分野の関連性
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(1) 技術分野の関連性」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 該当する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドの特許法やガイドラインには、日本の「技術分野の関連性」のような概念が詳述されているわけではないが、本質は似ていると考えられる。インドにおいても、主たる先行技術の課題を解決するために、主たる先行技術に関連する技術分野の技術的手段を、主たる先行技術に適用しようとすることは、当業者の通常の創作性の発揮とみなされる。特に、先行技術に、当業者がその中の文献や要素を組み合わせることを導くような教示、示唆が存在する場合、クレームされた発明は自明とみなされる可能性がある。

4-2-5. 設計変更
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(1) 設計変更等」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル9.3.3.2

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許庁実務マニュアルによれば、発明が、利用可能な先行技術に基づいた、当業者による現場における日常的な改良が必要な程度であれば、進歩性は欠如している。

 設計変更に関する日本の審査基準との類似点は、次のとおりである。
(i) インド特許制度の枠組みでは、既知の材料から最適な材料を選択するだけで、特に選択した材料が予想外の結果をもたらさない場合、進歩性を欠くとみなされる可能性がある。その根拠は、当業者であれば当然そのような選択をするはずだからである。

(ii) 日本の審査基準と同様に、クレームされた発明が、既知の数値範囲を単に変更したもので予測可能な効果に過ぎない場合、進歩性があるとはみなされない可能性がある。

(iii) ある発明において、ある材料を既知の同等品に置き換えることが、その技術分野において日常的に行われていることである場合、インド特許庁はそれを進歩性がないとみなす可能性がある。これは、当業者にとっては自明なステップと認識されるであろう。

4-2-6. 先行技術の単なる寄せ集め
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(2) 先行技術の単なる寄せ集め」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル9.3.3.2

(2) 異なる事項または留意点
 「設計変更」の場合と同じで、前述のとおり、発明が利用可能な先行技術に基づいた、当業者による現場での日常的な改良が必要な程度であれば、進歩性は欠如している。

 関連する裁判例は、Biomoneta Research Pvt Ltd. and Anr vs. Controller General of Patents Designs and Anr (C.A.(COMM.IPD-PAT) 297/2022) がある。この訴訟において、デリー高等裁判所は、対象となる発明が、引用された先行技術の単なる現場での改良であるか、または既存の方法の単なる応用であるかを審理した。先行技術文献D1からD3は当該発明と同じ技術分野に属しており、先行技術文献として的確であると認定された。問題の核心は、D1の特徴とD2およびD3の特徴を寄せ集めることが、当該技術分野の当業者にとって明らかかどうかを判断することであった。審議の際、裁判所は、進歩性のある組み合わせと単なる並置または集約との区別に関するEPOのガイドラインを参照した。また、先行技術の阻害要因を克服する当該発明の特徴などの二次的な要因も考慮した。その結果、裁判所は、審査官がD1からD3の組み合わせによる発明は進歩性が欠如していると判断したたことを覆し、先行技術と当該発明との相違点に関して進歩性の存在を肯定した。

4-2-7. その他
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」と異なるインド特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

4-3. 進歩性が肯定される方向に働く要素
4-3-1. 引用発明と比較した有利な効果
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(1) 引用発明と比較した有利な効果の参酌」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許法第2条(1)(ja)の「進歩性」の定義を考慮すると、インドにおける実務では、進歩性を判断する際には、対象とする発明の先行技術に対する技術的利点または有利な効果が非常に重要になる。

 Biomoneta Research Pvt Ltd. and Anr vs. Controller General of Patents Designs and Anr (C.A.(COMM.IPD-PAT) 297/2022)では、有利な効果は二次的考慮要素であるとしつつ、「二次的な考慮要素だけでは、発明は特許を受けることができないが、一連の従前の方法が新しく組み合わされて収益性の高い方法とされた場合には、特許が付与される可能性がある、というのが法律で確立された見解である」として進歩性を認めている。

4-3-2. 意見書等で主張された効果の参酌
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(2) 意見書等で主張された効果の参酌」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 日本と同様に、意見書において主張・立証された先行技術に対する発明の有利な効果が、特許出願(すなわち、明細書又は図面)において明示的に記載されている場合、審査官は、進歩性の判断において、それらを考慮する。

 有利な効果が、特許出願に明示的に記載されてはいないが、提出された明細書または図面に基づいて、当業者が合理的に推論できる場合、審査官の裁量に従って、それらも考慮することができる。

 効果が、明細書に記載されておらず、また当業者が明細書や図面から推測できない場合、通常、進歩性の評価では考慮されない。化学分野や生命工学分野の特許出願では、効果の証拠として追加のデータや実験結果を宣誓供述書と共に提出することができる。ただし、その効果は明細書に裏付けがなければならない。

4-3-3. 阻害要因
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.2.2 阻害要因」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査基準には、阻害要因に関する具体的な記述はないが、特許実務によれば、一次先行技術に対する二次先行技術の適用を阻害する要因は進歩性の存在を裏付けるものである。日本同様、インドにおいても、阻害要因を考慮した上で、当業者がクレーム発明を容易に想到することが十分に推認される場合には、クレームの発明は進歩性を否定される。

4-3-4. その他
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.2 進歩性が肯定される方向に働く要素」と異なるインド特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査基準に記述はないが、Avery Dennison Corporation vs. Controller of Patents and Designs (C.A. (COMM.IPD-PAT) 29/2021)において、デリー高等裁判所は、「単純な変更が、長い間誰も考えつかなかった予測不可能な効果をもたらした場合、裁判所は発明が自明でないと判断する方向に傾くであろう。」と判示している。

4-4. その他の留意事項
4-4-1. 後知恵
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(1)でいう「後知恵」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査基準には、日本の審査基準のように明確に規定されていないが、実務上、特許審査において後知恵の概念が認められている。

 長年にわたり、インドの裁判所は、後知恵は許されないとする様々な判決を下してきた。
Farbewerke Hoechst Aktiengesellschaft Vormals Meister Lucius and Bruning A Corporation Etc vs. Unichem Laboratories (AIR 1969 Bombay 255)において、ボンベイ高等裁判所は、後知恵による分析や再構築に頼って、訴訟の対象とされる特許自体の教示をガイドとして事後的に当該特許に到達し、自明性の欠如を理由に特許を無効とすることに注意を促している。

 さらに、Novartis Ag & Another vs. Natco Pharma Limited (CS(COMM) 256/2021, I.A. 6980/2021)では、「自明性の判断において、後知恵による分析は許されない。言い換えれば、訴訟特許が自明性の欠如を理由に無効となる可能性があるかどうかを評価する際に、訴訟特許の教示を参考にすることはできない。もし、訴訟特許の教示を参照しなければならないのであれば、それは後知恵分析であることを意味する。」と判事した。

4-4-2. 主引用発明の選択
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(2)でいう「主引用発明」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドにおいて、クレームされた発明に最も近い先行技術とされる、一次先行技術とは、一般に、クレームされた発明と同一または類似の課題を取り扱うもので、それが同一または類似の技術分野に関連する場合もあり得る。日本の審査基準と同様に、選択された一次先行技術がクレームされた発明と著しく異なる技術分野のものであったり、著しく異なる課題の解決を目的とするものであったりする場合、その先行技術とクレームされた発明とを結びつける理由付けを確立することが困難になる可能性がある。
 
4-4-3. 周知技術と論理付け
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(3)でいう「周知技術と論理付け」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドにおいても同様に、審査官は、設計変更等の根拠として引用された先行技術が周知であるという理由だけで、進歩性の有無の検討を省略すべきではない。

4-4-4. 従来技術
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(4)でいう「従来技術」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 出願人は、発明の背景を説明し、既存の解決策に関連する課題を特定するために、特許明細書の従来技術欄で関連する従来技術を引用することがよくある。インド特許庁は通常、そのような承認を自白として扱うため、その技術または方法は技術水準の一部と見なすことができる。

4-4-5. 物の発明と製造方法・用途の発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の「(5) 物自体の発明が進歩性を有している場合には、その物の製造方法及びその物の用途の発明は、原則として、進歩性を有している」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、特許出願の各独立クレームは、それが製品に関するものであれ、製造方法に関するものであれ、新規性、進歩性、産業上の利用可能性について個別に審査される。製品の発明の進歩性は、その製造方法の発明に自動的に進歩性を付与するものではない。

 さらに、ある製品がインドでは一定の要件により特許にならない場合でも、その製品を製造するための方法が、特許要件をすべて備えていれば、特許される可能性がある。なお、用途クレームはインドでは特許が認められない。

4-4-6. 商業的成功などの考慮
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第2節「3.3 進歩性の判断における留意事項」の(6)でいう「商業的成功」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、商業的成功は二次的考慮要素として裁判例で認められている。F Hoffmann-La Roche Ltd., Switzerland & Another vs. Cipla Ltd., Mumbai Central, Mumbai (2012 (52) PTC 1)において、デリー高等裁判所は、医薬品の世界的な商業的成功を認め、それを特許の非自明性を裏付ける要因とした。裁判所は、商業的成功はそれだけで非自明性を決定するものではないが、発明者による意図的な研究と革新を示唆する「付随的状況」として機能すると指摘した。この裁判例は、インドの裁判所が、特許の進歩性を判断する際に、商業的成功を補足要素としてどのように考えるかを示していると言える。

5. 数値限定
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「6. 数値限定を用いて発明を特定しようとする記載がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドにおける実務は、基本的には日本と同じである。クレームされた発明の特徴が数値限定のみにある場合、クレームされた数値限定による効果は、先行技術に開示されておらず、出願時の技術水準から当業者が予測することができない有利な効果でなければならない。そのような技術的効果は、先行技術とは異なる性質か、同じ性質の効果であれば先行技術より著しく優れていなければならない。

6. 選択発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「7. 選択発明」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 F Hoffmann-La Roche Ltd., Switzerland & Another vs. Cipla Ltd., Mumbai Central, Mumbai (2012 (52) PTC 1)において、デリー高等裁判所は、選択発明は次の場合は自明であると指摘した。
(a)対象となる発明の選択が、公知の先行技術の事例から選択されている場合
(b)選択された発明が、例示された公知の範囲から大きく離れておらず、むしろ、公知の範囲に近い場合
(c)その選択範囲は、発明者のいかなる目的に基づくものでもなく、単に化合物を恣意的に抽出したものにすぎない場合

 さらに、より最近のFMC Corporation & Another vs. Best Crop Science LLP And Others (I.A. 2084/2021,CS(COMM) 69/2021)で、デリー高等裁判所は、選択発明について「インド特許法は「選択特許」について特に言及していないが、(a)マーカッシュ形式クレームから選択された一つの発明が法上の「発明」の定義を満たし、(b)インド特許法第2条第(j)項および第(ja)項における「進歩性」を満たし、(c)インド特許法第64条が想定する取消の要件のいずれにも該当しない限り、その発明は特許可能である。したがって、re.I.G. Farbenindustrie A.G.’s Patents (1930), 47 R.P.C 289 (Ch. D.)に列挙されている選択特許の特許性の基準が、我が国においても適用されない理由はない。」と判示した。

 参考として、上記Farbenindustrie訴訟において、英国高等法院が示した、選択特許が有効であるために満たさなければならない3つの要件は次のとおりである。

1)マーカッシュ形式クレームから選択された要素を使用することによって確保される実質的な効果、または回避される実質的な不利益がなければならない。

2)若干の例外はあったとしても、選択された要素の全体について、課題に対する有利な効果を有していなければならない。

3)選抜された複数の要素は、特別な性質を有する資質に関するものでなければならない。同じ効果を有する少数の非選択化合物が発見されたとしても、選択特許が無効になることはない。しかし、多数の未選択化合物が同じ利点を有することが明らかになった場合、選択特許で請求された化合物の資質は、特別な性質を有するものではない。

7. その他の留意点
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第1節「新規性」に記載されている、請求項に記載された発明の認定、引用発明の認定、およびこれらの発明の対比については、以下のとおりである。

7-1. 請求項に記載された発明の認定
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「インドにおける新規性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)」の「3. 請求項に記載された発明の認定」を参照されたい。

7-2. 引用発明の認定
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「インドにおける新規性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)」の「4. 引用発明の認定」を参照されたい。

7-3. 請求項に記載された発明と引用発明の対比
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 「インドにおける新規性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)」の「5. 請求項に係る発明と引用発明との対比」を参照されたい。

8. 追加情報
 これまでに記載した事項以外で、日本の実務者が理解することが好ましい事項、またはインドの審査基準に特有の事項については、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 特になし。

インドにおける新規性の審査基準に関する一般的な留意点(前編)

1. 記載個所
 発明の新規性については、インド特許法第2条(1)(j)、第13条等に規定されている。

第2条 定義及び解釈 
(1)(j)「発明」とは、進歩性を含み、かつ、産業上利用可能な新規の製品又は方法をいう。 
(第2条の他の項号は省略) 
 
第13 条 先の公開又は先のクレームによる先発明についての調査 
(1)第12条に基づいて特許出願が付託された審査官は、完全明細書の何れかのクレーム中にクレームされた限りにおける当該発明が、次の事項に該当するか否かを確認するため調査しなければならない。 
(a)当該発明が、インドにおいて行われた特許出願であって1912年1月1日以後の日付を有するものについて提出された何れかの明細書において、当該出願人の完全明細書の提出日前に公開されたことによって開示されたか否か 
(b)当該発明が、当該出願人の完全明細書の提出日以後に公開された他の完全明細書であってインドにおいて行われ、かつ、前記の日付か又は前記の日付より先の優先日を主張する特許出願について提出されたものの何れかのクレーム中にクレームされているか否か 
(2)更に,審査官は、完全明細書の何れかのクレーム中にクレームされた限りにおける当該発明が、当該出願人の完全明細書の提出日前にインド又は他の領域において(1)にいうもの以外の何らかの書類で開示されたか否かを確認するため、当該調査を実施しなければならない。 
(第13条の他の項号は省略) 
 
第25条 特許に対する異議申立 
(1)特許出願が公開されたが特許が付与されていない場合は、何人も、次の何れかの理由によって特許付与に対する異議を長官に書面で申し立てることができる。すなわち、 
(d)完全明細書の何れかのクレーム中にクレームされた限りにおける発明が、当該クレームの優先日前にインドにおいて公然と知られ又は公然と実施されたこと 
(第25条の他の項号は省略) 
 
第64条 特許の取消 
(1)本法の規定に従うことを条件として、特許については、その付与が本法施行の前か後かを問わず、利害関係人若しくは中央政府の申立に基づいて審判部が又は特許侵害訴訟における反訴に基づいて高等裁判所が、次の理由の何れかによって、これを取り消すことができる。すなわち、 
(f)完全明細書の何れかのクレーム中にクレームされている限りにおける発明が、当該クレームの優先日前に、インドにおいて公然と知られ若しくは公然と実施されていたもの又はインド若しくはその他の領域において公開されていたものに鑑みて、自明であるか若しくは進歩性を含まないこと 
(第64条の他の項号は省略) 

 また、特許法には下記のように第2条(1)(l)があり、「新規発明」が定義されている。この規定だけを見ると、公知、公用および公開文書による開示のいずれも世界基準を採用していると解釈できる。しかし、特許法第13条、第25条、第64条、および後述する「インド特許庁実務及び手続マニュアル」によれば、国内公知または国内公用によって新規性を失うとされているので、注意が必要である。

第2条 定義及び解釈 
(1)(l)「新規発明」とは、完全明細書による特許出願日前にインド又は世界の何れかの国において何らかの書類における公開により予測されなかったか又は実施されなかった何らかの発明又は技術、すなわち、主題が公用でなかったか又は技術水準の一部を構成していない発明又は技術をいう。 
(第2条の他の項号は省略) 

 新規性に関する審査基準については、「インド特許出願調査及び審査ガイドライン」(以下、「インド特許審査ガイドライン」という。)の「3.4.1 発明の新規性」、および「インド特許庁実務及び手続マニュアル」(以下、「インド特許庁実務マニュアル」という。)の「09.03.02 新規性」に規定がある。

2. 基本的な考え方
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第1節「2. 新規性の判断」に対応するインド特許審査ガイドラインおよび/またはインド特許庁実務マニュアル(以下、「インド特許審査ガイドライン」および「インド特許庁実務マニュアル」を合わせて「インド特許審査基準」という。)は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインでは、審査官による新規性の判断について、次のように述べられている。

 発明の新規性を判断するために、審査官は、特許文献や非特許文献を調査し、特許出願された発明の主題に関連する先行文書による開示や先行出願のクレームにおける開示の有無を確認する。これは、インド特許庁が特許出願の審査を行うための事務処理の一環である。

 新規性の欠如を証明するには、明示的または黙示的に、クレームの開示が単一の文書内に完全に含まれている必要がある。複数の文書を引用する場合は、それぞれが独立しているか、引用された文書が連続した文書を形成するような方法で結合されている必要がある。

 ただし、開示の累積的な影響を考慮することはできないし、複数の文書から得られる要素の組み合わせを形成することによって、新規性の欠如を確立することもできない。複数の文書から得られる要素を組み合わせることは、自明性を主張する場合にのみ行うことができる。

3. 請求項に記載された発明の認定
3-1. 請求項に記載された発明の認定
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「2. 請求項に係る発明の認定」第一段落に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、特許の範囲は主にクレームによって規定される。審査官は、クレームで使用されている用語に、通常用いられる慣習的な意味を与えて解釈する。ただし、これらの用語に関して曖昧さが生じたり、説明が必要であったりする場合には、審査官は明細書および添付図面を参照して、文脈および詳細を確認する。

 明細書および図面は、クレームに係る発明の性質を明らかにするものであるが、そこで言及される特定の事例、または実施形態は、クレームで明示的に記載されない限り、必ずしも特許の範囲を制限するものではない。

 依然として曖昧さが残る場合、審査官は、出願時における発明の技術分野における共通一般知識を考慮に入れることができる。これには、出願時の一般的な知識と実務を考慮して、関連する技術分野の当業者の観点から、クレームを理解することができることを意味している。

3-2. 請求項に記載された発明の認定における留意点
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「2. 請求項に係る発明の認定」第二段落に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 特許出願のクレームは、出願人が求める保護の境界を示している。明細書および図面は、特に曖昧さが生じた場合に、これらの請求項を解釈および理解するために使用される。審査官は、明細書や図面を優先して特許請求の範囲に記載されている明示的な用語を無視することはできない。

 特許請求の範囲と明細書の間に矛盾がある場合、一貫性を確保するためにクレームまたは明細書を修正することによって矛盾を修正する責任は、通常、出願人にある。明細書と図面は、発明の背景と詳細を提供するが、クレームが保護範囲を決定するための主要なツールである(インド特許法第10条)。審査官の仕事は、これらのクレームが、明確であり、明細書によって裏付けられており、先行技術に比べて新規であることを確認することである。したがって、矛盾が生じた場合、審査官は、出願人にそれを補正する機会を与える。

4. 引用発明の認定
4-1. 先行技術
4-1-1. 先行技術になるか
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「3.1 先行技術」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 一般原則

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによれば、発明は、特許出願日または優先日のいずれか早い日より前に、世界のいずれかの文書で公表されたり、インドにおける特許出願で先行してクレームされたり、口頭であれ何であれ、インドやその他の地域社会または先住民社会で利用可能な知識の一部を形成したり、使用されたりしていない場合、すなわち、その主題が公知となっていない場合、または、その主題が技術水準の一部を形成していない場合に、新規な発明とみなされる。

 日本では、出願前かどうかは、時、分、秒の単位で判断される。外国での公知の場合は、外国の時間を日本時間に換算したものを基準とする。しかし、インドでは、日の単位のみが考慮され、時間、分、秒の単位は考慮されない。

4-1-2. 頒布された刊行物に記載された発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節3.1.1「(1)刊行物に記載された発明」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによれば、手数料の支払の要否にかかわらず、公衆が閲覧することができる場合には、いかなる文献も公開されたものとみなされ、したがって、先行技術の一部を構成する。また、先行公開は普及の程度には関係しない。一人の公衆に、秘密保持義務を負わせることなく文献を開示することは、その文献を公衆に利用可能にすることになる。

 インド特許法は、先行公開について日本と同じ基準に従っている。インドでは、日本と同様に、誰かが実際にアクセスしたか、読んだかでなく、出願日前に公衆がアクセス可能な情報であることが重視される。日本が刊行物の記載内容や当業者が導き出すことのできる事項としているのと同様に、インドの制度も、その内容を当業者が理解できるような方法で公衆に提供されているかどうかに重点を置いている。ただし、インドのガイドラインでは、日本の審査基準のように「記載されているに等しい事項」という文言は明示的に使用されていない。

 また、審査官は、優先日前に公衆に開示されているいかなる文献をも引用することができる。審査官が、不完全な文献(公衆に利用可能であるが未完成である文献)を引用すべきではないということは、法令やガイドラインで特に禁止されていない。

4-1-3. 刊行物の頒布時期の推定
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節3.1.1「(2) 頒布された時期の取扱い」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによれば、文献に記載されている事項が、世界のどこで、どのような方法、またはどのような言語で開示されたとしても、最初に公衆に利用可能となった日に、その事項が先行技術の一部であるとみなされる。

 ただし、インド特許審査ガイドラインでは、他の関連要因に基づいて正確な公開時期を推定するという日本の審査基準にあるような詳細なレベルには踏み込んでいない。

4-1-4. 電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「3.1.2 電気通信回線を通じて公衆に利用可能となった発明(第29条第1項第3号)」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによれば、どのような方法や言語で開示されたとしても、その事項は、最初に一般に公開された時点で最先端技術の一部とみなされる。したがって、秘密保持の義務を負わずに一人の公衆に通信を行うことは、その通信を公衆に公開することと同じであり、その事項は先行技術の一部を構成する。

 インドでは、先行技術の概念はあらゆる形式の開示に拡張されており、これにはインターネットまたはその他の電子的手段を通じて行われる開示も含まれる。何人かが実際にウェブページなどにアクセスしたという事実は必要ではない。

4-1-5. 公然知られた発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「3.1.3 公然知られた発明(第29条第1項第1号)」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト、インド特許庁実務マニュアル09.03.02 新規性 2.

(2) 異なる事項または留意点
 前述のとおり、インド特許審査ガイドラインによれば、どのような方法や言語で開示されたとしても、その事項は、最初に一般に開示された時点で最先端技術の一部とみなされる。また、インド特許庁実務マニュアルでは、インドにおける優先日前の公知によって開示されていなかった発明は、新規とみなされる、とされている。

4-1-6. 公然実施をされた発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「3.1.4 公然実施をされた発明(第29条第1項第2号)」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト、インド特許庁実務マニュアル09.03.02 新規性 2.

(2) 異なる事項または留意点
 前述のとおり、インド特許審査ガイドラインによれば、どのような方法や言語で開示されたとしても、その事項は、最初に一般に開示された時点で最先端技術の一部とみなされる。また、インド特許庁実務マニュアルでは、公用に関する判断について、優先日前のインドにおける使用によって開示されていなかった発明は、新規とみなされるとしており、国内公用を基準としていると考えられる。

 インドでは、発明が優先日より前にパブリックドメインで使用されている場合、その発明は先行技術として考慮されることとなるが、これは、日本の審査基準に記載されている「公然実施された発明」に類似している。

 Lallubhai Chakubhai vs.Chimanlal Chunilal & Co. (A.I.R.1936 Bom. 99)では、ボンベイ高等裁判所は、発明が取引目的で使用される場合、発明者によるものであれ、他の当事者によるものであれ、それは公共使用とみなされると指摘した。さらに、製品を公然と販売するということは、その使用が単なるテスト目的ではなく、ビジネス目的であることを明確に示している。ただし、販売が公共使用の証拠とみなされるには、透明性があり、通常の事業活動の一環として行われなければならないとした。

(後編に続く)

インドにおける新規性の審査基準に関する一般的な留意点(後編)

(前編から続く)

5. 請求項に係る発明と引用発明との対比
5-1. 対比の一般手法
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「4.1 対比の一般手法」に対応するインド特許審査基準(「インド特許審査ガイドライン」および/または「インド特許庁実務マニュアル」)の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン5.2、インド特許庁実務マニュアル09.03.02

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによれば、すべての独立請求項について簡潔かつ正確な陳述を作成した後、審査官は、特定されたすべての技術的特徴とそれらの間の機能的関係を開示する文献を検索する。

 検索された文献に発明の目的に寄与するすべての技術的特徴が含まれている場合、その文献によって発明の新規性は否定される。これは、目的または技術的特徴が暗黙的に開示されている場合であってもあり得る。新規性の欠如を証明するには、先行開示が、単一の文書内に完全に含まれている必要がある。複数の文書を引用する場合は、それぞれが独立しているか、引用された文献が連続した文書を形成するような方法で結合されている必要がある。

 さらに、インド特許庁実務マニュアルでは、先行技術は明示的または黙示的な方法で発明を開示する必要があると述べており、また、新規性の判断においては、先行技術文献の組み合わせは認められない。

5-2. 上位概念または下位概念の引用発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「3.2 先行技術を示す証拠が上位概念または下位概念で発明を表現している場合の取扱い」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許庁実務マニュアル09.03.02

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許庁実務マニュアルでは、先行技術における一般的な開示が必ずしも特定の開示の新規性を否定するわけではないと述べている。例えば、金属製のバネでは、銅製のバネの新規性が失われるわけではない。しかし、先行技術における特定の開示は、一般的な開示の新規性を否定する。例えば、銅製のバネによって、金属製のバネの新規性は否定される。

5-3. 請求項に係る発明の下位概念と引用発明とを対比する手法
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「4.2 請求項に係る発明の下位概念と引用発明とを対比する手法」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査ガイドラインによると、クレームがいずれかの選択肢で特定される場合、または数値範囲(例:組成成分、温度等)を特定して発明を定義している場合、これらの選択肢の1つ、またはこの範囲内に含まれる1つの数値例がすでに存在する場合、その発明の新規性は否定される。

 したがって、5-2.で述べたように、一般的に定義された発明に関するクレームの新規性を否定するには、具体例を示すだけで十分である。例えば、金属製のコイルばねの開示は、弾力性のある手段に対する発明を開示している。他方、一般的な開示は、より具体的な発明に関するクレームの新規性を否定することはないので、金属製コイルバネに関する先のクレームは、銅製のそのようなバネを特定する後のクレームの新規性を否定するために使用することはできない。

 しかし、場合によっては、比較的小さく限定された可能性のある選択肢の技術分野の開示が、すべての部材の開示であるとみなされることもある。例えば、「流体」は、文脈によっては、液体と気体の両方を開示しているとみなされることがあり、電気モーターへの言及は、直列巻型と分巻型の両方の使用を開示しているとみなされることがある。

5-4. 対比の際に本願の出願時の技術常識を参酌する手法
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第3節「4.3 対比の際に本願の出願時の技術常識を参酌する手法」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドの審査官は、先行技術文献を理解して解釈するために、出願時の一般技術常識を考慮に入れるので、日本の実務と変わらないと考えられる。

6. 特定の表現を有する請求項についての取扱い
6-1. 作用、機能、性質または特性を用いて物を特定しようとする記載がある場合
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「2. 作用、機能、性質または特性を用いて物を特定しようとする記載がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 日本と同様に、インドでもクレームがその動作、機能、性質、特性によって物を特定する場合、その機能や特性を有する、または実行するすべての物を包含すると解釈される。

 クレームがその機能、または特性の観点から定義されており、クレームに記載された発明を従来技術と直接比較することが困難になる場合、審査官は、出願人にクレームの明確化のために補正を認める場合があり得る。

6-2. 物の用途を用いてその物を特定しようとする記載(用途限定)がある場合
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「3. 物の用途を用いてその物を特定しようとする記載(用途限定)がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インド特許審査基準には、用途限定の発明について踏み込んだ記述はないが、インド特許法第3条(d)によれば、既知の物質の既知の効能を向上させない新しい形態の単なる発見、既知の物質の新しい性質や新しい用途の単なる発見、既知のプロセス、機械、装置の単なる使用は、そのような既知のプロセスが新しい製品をもたらすか、少なくとも1つの新しい反応物を用いるのでない限り、特許を受けることはできないとされる。

6-3. サブコンビネーションの発明
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「4. サブコンビネーションの発明を「他のサブコンビネーション」に関する事項を用いて特定しようとする記載がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 組み合わせ発明と、そのサブコンビネーションの特許性を評価する際、審査官は、各コンポーネントの進歩性と新規性、さらに組み合わせ全体を検討する。サブコンビネーションの発明が特許を受けるためには、それが新規性、進歩性、産業上の利用可能性を有することが必要である。

6-4. 製造方法によって生産物を特定しようとする記載がある場合
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「5. 製造方法によって生産物を特定しようとする記載がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 対応する記載はない。

(2) 異なる事項または留意点
 インドでは、特定の状況において、製造プロセスごとに製品をクレームする「プロダクト・バイ・プロセス」クレームが認められることがある。インド特許審査基準では、プロダクト・バイ・プロセスのクレームについて言及されていないが、医薬品分野における特許出願の審査のガイドラインには7.9にプロダクト・バイ・プロセスのクレームについての規定がある。それによれば、プロダクト・バイ・プロセスのクレームでは、出願人は、プロセス用語で定義された製品が、従来技術の製品によっては開示されていないことを示さなければならない。すなわち、プロセスの新規性または進歩性に関係なく、製品そのものの新規性および進歩性の要件を満たさなければならない。

6-5. 数値限定を用いて発明を特定しようとする記載がある場合
 日本の特許・実用新案審査基準の第III部第2章第4節「6. 数値限定を用いて発明を特定しようとする記載がある場合」に対応するインド特許審査基準の記載は、以下のとおりである。

(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
 インド特許審査ガイドライン3.4.1 新規性の判断 コンセプト

(2) 異なる事項または留意点
 前述の「5-3. 請求項に係る発明の下位概念と引用発明とを対比する手法」を参照されたい。

7. その他
 これまでに記載した事項以外で、日本の実務者が理解することが好ましい事項、またはインドの審査基準に特有の事項ついては、以下のとおりである。

 特になし。