アジア / 出願実務
シンガポールにおける進歩性の審査基準に関する一般的な留意点(中編)
2024年05月28日
■概要
シンガポールの特許出願の審査基準のうち進歩性に関する事項について、日本の特許・実用新案審査基準と比較して留意すべき点を中心に紹介する。ただし、ここでは、各技術分野に共通する一般的な事項についてのみ取扱うこととし、コンピュータソフトウエア、医薬品など、特定の技術分野に特有の審査基準については省略する。前編では、進歩性に関する審査基準の記載個所、基本的な考え方、用語の定義について、中編(本稿)および後編では、進歩性の具体的な判断、数値限定、選択発明、その他の留意点について、解説する。(前編:https://www.globalipdb.inpit.go.jp/application/39180/)
(後編:https://www.globalipdb.inpit.go.jp/application/39185/)
■詳細及び留意点
(前編から続く)
4. 進歩性の具体的な判断
4-1. 具体的な判断基準
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3. 進歩性の具体的な判断」の第3段落に記載された「(1)から(4)までの手順」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特許審査基準第4章4.20
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールでは、審査官は、4ステップのWindsurfingテストを使用して進歩性を判断する。先行技術とクレームに係る発明との相違を明らかにし、当業者の目を通した場合、その相違が自明か否かを判断する(第4章4.20)。
1) クレームに係る発明の概念を明らかにする。
2) 優先日の時点での、当技術分野における通常の技能は有しているがunimaginativeな当業者があると仮定し、その時点での当技術分野における技術常識があると見なす。
3) 「すでに知られている、利用されている」ものとして引用されている事項と、発明とされるものとの間に、相違があるか、どのような相違かを明らかにする。
4) 発明とされるものについての知識が一切ない場合、当業者にとって、前述の相違が自明であるか、それともある程度の発明を必要とするものであるかを判断する。
4-2. 進歩性が否定される方向に働く要素
4-2-1. 課題の共通性
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(2) 課題の共通性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
該当する記載はない。
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールの特許審査基準では、解決すべき課題が共通する2種類の文献を組み合わせることについては、具体的に論じていないが、進歩性に関して開示を組み合わせることについては論じており、第4章4.38では、以下のように述べている。
「進歩性の判断には、技術水準を形成するいかなる単一の開示も使用してよいが、2つ以上の開示を組み合わせる場合はまず、当業者であれば、それらの開示を組み合わせるかどうかを、判断しなければならない。」
進歩性に関する異なる開示を組み合わせるかどうか判断する場合、審査官は、それらの文献が同じ技術分野のものかどうか、隣接する分野か、離れている分野かを考慮する。2つの先行技術が共通の課題に関するものであれば、審査官は、それらが同じ技術分野のものであると判断してよい(第4章4.43)。
4-2-2. 作用、機能の共通性
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(3) 作用、機能の共通性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
該当する記載はない。
(2) 異なる事項または留意点
「4-2-1. 課題の共通性」を参照されたい。
4-2-3. 引用発明の内容中の示唆
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(4) 引用発明の内容中の示唆」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
該当する記載はない。
(2) 異なる事項または留意点
審査官は、2以上の文献にある開示を組み合わせることが自明かどうかを判断する際、それらの文献が互いに参照している箇所があるかどうかを考慮する(第4章 4.43)。明らかな相互参照があれば、審査官は、文献の寄せ集めに基づく進歩性の主張は自明であると判断する。
4-2-4. 技術分野の関連性
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.1 主引用発明に副引用発明を適用する動機付け」の「(1) 技術分野の関連性」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
該当する記載はない。
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールでは、審査官が同じ技術分野の2つの文献を組み合わせることはあるが、解決すべき課題の共通性、作用や機能の共通性、引用発明の内容中の示唆などのような、動機付けとなるその他の記載について、具体的な基準はない。
2以上の文献にある開示を組み合わせることが自明かどうかを判断する際には、それらの文献が同じ技術分野のものかどうか、隣接する分野か、離れている分野かを考慮することが重要になると思われる(第4章4.43)。
4-2-5. 設計変更
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(1) 設計変更等」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特許審査基準第4章4.57、4.83、4.88
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールには、設計変更および選択発明に関する一般的な基準があるのみで、日本の審査基準におけるような明確な基準はない。
先行技術からの「単なる設計改善」にすぎないクレームに進歩性がないことは、当業者であれば通常の設計開発をする技能を有するとされることから明らかである(Pfizer Ltd’s Patent [2001] FSR 16を参照)。ただし、単なる設計改善/変更となるかどうかの判断は一般には難しいと思われる(第4章4.57)。
発明が、多くの選択肢のうちの一つであり、かつ先行技術に、ある特定の選択肢が、他の選択肢よりも有利であると示されていない場合、当該発明を非自明と見なしてよい(第4章4.83)。
実際の技術的進歩がない選択は、自明と見なされる(第4章4.88)。
4-2-6. 先行技術の単なる寄せ集め
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」の「(2) 先行技術の単なる寄せ集め」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特許審査基準第4章4.46
(2) 異なる事項または留意点
発明が、別々の特徴の組み合わせであって、それぞれが通常の機能を実行するにすぎない場合、その発明は単なる寄せ集めになると考えられる。また、組み合わせる特徴の数は、進歩性の判断に影響しない(第4章4.46)。
4-2-7. その他
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.1.2 動機付け以外に進歩性が否定される方向に働く要素」と異なるシンガポール特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特審査基準第4章4.47-4.48
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールでは、審査官は、進歩性(自明性)の判断に、4ステップのWindsurfingテストを使用している(上記第4-1項参照)。後半の2つのステップでは、先行技術と当該発明の間に存在する相違点を明らかにし、それらの相違点が、当業者であれば自明のステップを構成するか、ある程度の発明が必要かを判断する(第4章4.47)。
審査官は、審査する技術に関連する技能を持っていたり、審査する分野に関する実践的な知識を取得していたりすることが多い。そのため通常は、自分の前に置かれた出願や先行技術などの資料に基づき、発明に進歩性があるかどうかを、判断できる立場にある(第4章4.48)。
シンガポールの裁判所では、自明性を判断するため、以下に挙げるようなさまざまなアプローチが使用されてきた。
「容易に入手できるもの」(Peng Lian Trading Co v Contour Optik Inc & Ors [2003] 2 SLR 560, and Merck & Co Inc v Pharmaforte Singapore Pte Ltd [2000] 3 SLR 717)
特定の問題に対する解決策が、当業者にとって日常的に入手可能な材料等を使用するものである場合は進歩性が否定される。
「設計変更」(ASM Assembly Automation Ltd v Aurigin Technology Pte Ltd and others [2009] SGHC 206)
日常的な作業で行う設計変更は、当業者であれば当然に有する技能であるから、進歩性が否定される。
「商業的成功」および「長年の切実な市場ニーズ」(Muhlbauer AG v Manufacturing Integration Technology Ltd [2009] SGHC 45、Trek Technology (Singapore) Pte Ltd v FE Global Electronics Pte Ltd [2005] 3 SLR 389:控訴審(FE Global Electronics Pte Ltd v Trek Technology (Singapore) Pte Ltd [2006] 1 SLR 876)において支持))
市場での商業的な成功は、その製品が市場において長年にわたり切望されていた市場ニーズを満たしていることを示しているものであり、これらは進歩性を肯定する要因となる。
「極めて明白」(First Currency Choice Pte Ltd v Main-Line Corporate Holdings Ltd and Another Appeal [2007] SGCA 50)
発明の自明性が極めて明白である場合は、Windsurfingテストのような定式化されたアプローチに従うメリットがほとんどなく、このテストを用いない場合もあり得る。
「技術的な先入観」(Muhlbauer AG v Manufacturing Integration Technology Ltd [2010] SGCA 6)
当業者の技術的な先入観に反した技術によって課題が解決された場合には、その進歩性を肯定する要因となる。
「現実的な困難の克服」(V-Pile Technology (Luxembourg) SA and Others v Peck Brothers Construction Pte Ltd [2000] 3 SLR 358) (Chapter 4 Section 4.50)
発明者が独自の創意工夫によって現実的な困難を克服することにより発明を完成させた場合は、その発明の進歩性を肯定する要因となる。
4-3. 進歩性が肯定される方向に働く要素
4-3-1. 引用発明と比較した有利な効果
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(1) 引用発明と比較した有利な効果の参酌」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特許審査基準第4章4.80
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールでは、一般的に予期しない有利な効果がある発明は、非自明であるとされている。
発明の有利な効果が進歩性の判断要素として議論され得るとしても、当業者が容易に考える発明には進歩性がない(Technical Board of Appeal of the EPO in Decision T119/82)。しかし、有利な効果が予期しないものである場合は、進歩性を肯定する要素となり得る。同様に、当業者が発明には不利益があると考えるが、実際には予想に反して有利な効果がある場合には、非自明とされることもあり得る(第4章4.80)。
4-3-2. 意見書等で主張された効果の参酌
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.1 引用発明と比較した有利な効果」の「(2) 意見書等で主張された効果の参酌」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
対応する記載はない。
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールの審査官は、通常、当業者の目を通してクレームを解釈し、有利な効果が明細書の本文に述べられていれば考慮する。
付与される特許は、クレームで定義される発明のみを保護するが、クレームは、明細書の本文および図面を踏まえて解釈される(第2章2.1)。
明細書は、当業者の目を通して解釈され、被疑侵害、先行技術、あるいは明細よりも後の文献などを関連するものとして参照することなく、周囲の状況を踏まえて全体として考慮される(第2章2.20)。
4-3-3. 阻害要因
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2.2 阻害要因」に対応するシンガポール特許審査基準の記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
シンガポール特許審査基準第4章4.74-4.75
(2) 異なる事項または留意点
シンガポールでは、進歩性の主張に関する技術的な先入観を判断する際の一般的な基準が定められているが、日本では、4つの具体的な阻害要因が挙げられている。
審査官は、当業者であれば、どのようなことをしようと考えるか、また、どのような行為に対して先入観があるかについて、考慮すべきである。一般的に受け入れられている見解や慣例に反する場合は、非自明と見なすことができる(第4章4.74)。
このことが、決定要因となる場合としては、以下の例がある。
1) 当業者が、技術常識からは先行技術に問題があると認識できないような場合。
2) 当業者であれば、特定の用途に適さないと考えるはずの資料や技術があり、それが十分な根拠のない先入観であることを、発明者が発見した場合。
3) ある方法のステップまたはある装置の構成要素が、不可欠であると考えられていたが、省略してもよいことを発明者が発見した場合(第4章4.75)。
技術的な先入観は、当技術分野で一般に共有されているもの、つまり、概念的な当業者によるものとされるほど、十分に普及しているものでなければならない。よって、ある特定の点についての当技術分野における見解が分かれている場合は、当技術分野で広く受け入れられている先入観と言えるものではない。例えばGlaxo Group’s Patent [2004] RPC 43では、喘息の治療におけるβ2拮抗薬の使用に関して、相当な論争があり、裁判所は、このような論争がある以上、当業者によるものとされるほど十分に普及していると見なすことはできないと判示している(第4章4.76)。
4-3-4. その他
日本の特許・実用新案審査基準第III部第2章第2節「3.2 進歩性が肯定される方向に働く要素」と異なるシンガポール特許審査基準の該当する記載は、以下のとおりである。
(1) 対応する事項が記載された審査基準の場所
特に記載はない。
(後編に続く)
■ソース
・シンガポール特許審査ガイドラインhttps://www.ipos.gov.sg/docs/default-source/resources-library/patents/guidelines-and-useful-information/examination-guidelines-for-patent-applications.pdf(英語)
・シンガポール特許法
https://sso.agc.gov.sg/Act/PA1994(英語)
https://www.jpo.go.jp/system/laws/gaikoku/document/mokuji/singapore-tokkyo.pdf(日本語)
・日本の特許・実用新案審査基準
https://www.jpo.go.jp/system/laws/rule/guideline/patent/tukujitu_kijun/document/index/allbm.pdf#page=203
■本文書の作成者
Drew & Napier■協力
日本国際知的財産保護協会■本文書の作成時期
2023.12.18